三、わかれるということ





「おい、あれ、あいつじゃねぇか」
 いつもの出稽古を終えて他道場の門を出たところで、薫と弥彦はそこで自分達を待っていた人物の姿に思わず動きを止めた。 そこには見慣れた剣心、ではなく、左頬に湿布を貼り付けた抜刀斎が腕組みをしたまま所在なさげに立っていたからである。
 髪を結う位置を低くしているので一見すると緋村剣心そのものなのだが、漂う空気がまるで違うので最近ではもう遠目からでも薫と弥彦には見分けがついた。
「なんであいつがここに居るんだ? この後の買い物は剣心と待ち合わせて行くことになってたんだろ?」
「そうだけど…」
 近づいて来た二人を見て、抜刀斎は寄りかかっていた塀から身体を起こした。いつもながら見事なまでの無表情だ。そう言えば彼が笑うところをいまだに見たことがない。
「どうしたの? 剣心は?」
 薫がかけた第一声にピクリと眉を動かした彼の機嫌が僅かに下降したことには、弥彦だけが気づいた。
「警察からの呼び出しで、出かけて行った」
「ええ? そうなの? 随分急ね。いつ頃帰るか言ってた?」
「知らない」
「どこに行くって?」
「聞いてない」
「えー? どこ行ったかもいつ帰るかもわからないの? 困ったわね今日は重いもの買い込もうと思ってたのに…」
 肩を落とす薫の向かいで抜刀斎の機嫌が地に向かって落ちていくのが弥彦にはわかる。
(おいおいそれ以上『剣心剣心』言うなよ馬鹿…)
 冷気さえ漂い始めた気がして、弥彦はつい助け船を出してしまった。
「買い物なんてそいつに付き合って貰えばいいだろ。ガキじゃあるまいし、荷物持ちぐらいできんだろ」
 横から口を挟んだ弥彦に抜刀斎が目を向ける。冷気が一気に自分に向いた気がして、弥彦は肩を竦めた。
(睨んでんじゃねぇよお前が言いたいことを俺が代わりに言ってやったんだろうが)
 弥彦と抜刀斎が無言のやり取りをしている間に、薫は買いたいものを指折り数えて、今日の買い物は外せないと判断したようだった。
「そうねぇ、じゃあ付き合ってくれる?抜ちゃん」
「…別に、かまわない」
「そう? じゃあお願いね」
(ほらみろ俺のおかげで希望通りの方向に話しが進んだじゃないか)

「じゃ、俺は赤べこ行くから」
「あ、うん。ってあんた、最近うちでご飯食べないけど、毎回燕ちゃんにお世話になってるんじゃないでしょうね?」
「毎回じゃねぇよ。五回に四回くらいだよ」
「それじゃ毎回と同じじゃないの。もう! 燕ちゃんにそんなにお世話になるくらいなら、うちへ来て食べなさいよ」
「け、ヤなこった」
 破落戸長屋へと移り住んでからと言うもの、弥彦が神谷道場で食事を取る回数は以前より少なくなった。 それがここのところ目に見えて更に減っている。特に抜刀斎が来た日からは、明らかに弥彦の方がそれを避けていた。
「嫌ってなんでよ」
 薫は首を傾げる。神谷道場で稽古をした後でさえ、弥彦は母屋に立ち寄ることなくそそくさと赤べこへ行ってしまうのだ。
「なんでもへったくれもあるか。俺はな、もうお前らの面倒ごとにはできるだけ首を突っ込まないことにしたんだよ。 俺は剣術の修行とバイトに忙しいんだ。お前らのでたらめな珍生活にかかずらわってられるほど暇じゃねぇんだ」
「珍生活って…」
「珍生活と言わずに何て言うんだよ」
 抜刀斎を顎でしゃくって示した弥彦は、ふんと大きく鼻を鳴らした。
 剣心が抜刀斎と分かれて二人になったという事態から、弥彦はもう早々に戦線離脱するつもりだった。 『新たな敵が送り込んだ刺客』説を、まだ完全に捨て切れたわけではない。 いつ何時この剣心そっくりの顔をした男が化けの皮を脱ぎ捨てるかもしれないと、そういう懸念が払拭されたわけではない。 それでも弥彦が見る限りでは、抜刀斎にはそういう気配はなかったのだ。それどころかこの男は完全に緋村剣心の特性を備えている。見れば見るほど備えている。
(薫の言動一つ一つに一喜一憂しやがって。そんなの剣心そのものじゃねぇか)
 それはわかりにくい分真実味があった。抜刀斎は間違いなく薫の挙動を一番気にしている。 元々別の人間が無理矢理演技しているとか、そういう風に装っているとはとても思えないほどに。
 しかしそうするとやはり、この男は剣心から分離した抜刀斎ということになるではないか。いやいやそんな非現実的な事があるものか。いやしかし――
 そんなことをぐるぐると考えているうちに、弥彦はもう面倒くさくなってしまったのだ。 彼らの間に起きるあれやこれやに、いつまでも首を突っ込んではいられない。自分には自分の生活があって、そして進むべき道がある。 野次馬の立場はもういい加減お役御免になるべきなのだ。 それにこれ以上自分が悩んでも、きっと何の解決にも役立たないだろう。そんな気が猛烈にしている。 現に神谷道場での薫と剣心と抜刀斎の暮らしは何事もないまま、既に三週間を迎えようとしていた。
「全く、考えるだけ馬鹿馬鹿しい」
 そう呟いて去っていく弥彦の背中を、薫は不思議そうに見送った。
「あの子、やっぱり反抗期かしらね」

***

 買い物をしている間、特にこれと言って問題は起こらなかった。 次から次へと持たされる荷物が増えていくことに抜刀斎が眉間の皺を深くした――薫は竹刀と剣術道具を携えていて 大きい荷物はことごとく彼に押し付けた――程度で、概ね順調に二人の買い出しは終わろうとしていた。
「抜ちゃん、わたしちょっとあっちのお店見てくるから、あなたはお豆腐屋さんでお豆腐買ってきてくれる? あ、絹ごしね、冷や奴で食べたいから」
 問題が起こったのは、薫と抜刀斎がそれぞれ別の店で買い物を済ませた後のことだ。
 薫が一人で入ったのは通りの外れにある小物屋だった。大きな通りから直角に伸びる細い道を少し進んだ所にあって、 大通りからは一見して店があるとはわかりずらい。穴場のようなその店には薫が好む匂い袋やリボンなどが手頃な値段で売られていて、 近くに来た時は入荷した品を見ておこうと必ず寄るのが常だった。
 店の品に目新しい物が特にないことを確認して薫が外に出たとき、ガラの悪い二人組の男と目が合ったのは全くの偶然だった。 大通りへと戻る細い道を塞ぐように立っていて、邪魔だなと思ったのがつい顔に出たかもしれないのは確かに薫の落ち度ではあった。
「なんだよ姉ちゃん、人にガン付けといて素通りたぁどういうことだい」
 道の端を通り抜けようとすると、二人のうちの一人が遮るように前を塞いだ。
「え…いえ別に、ガン付けたりなんてしてませんけど」
「そうかい?じゃあ俺たちを誘おうと思ってじろじろ見てたのかい?」
「はぁ?」
 もう一人の男はニヤニヤと笑いながら薫の後方を塞ぐ。昼間だというのに、二人の男は酒の匂いをプンプンさせていた。
(酔っぱらいか――面倒な…)
 あからさまに嫌悪の表情を出した薫にムッとしたのか、前方の男は更に距離を詰めてきた。
「ちょうどいいや、おれたちも暇だったところなんだよ。ちょいと遊びに付き合ってくれよ」
「お断りします」
「まぁそうつれないこと言うなって」
 そう言って前方の男が左肩を掴むと、後方の男もまた薫の右腕を後ろから掴んだ。酒臭い息が顔にかかって吐き気がしそうだ。
 薫は着物姿の時よりも、胴着姿でいる時の方がなぜかこういった面倒に出くわすことが多い。 どうみても剣術を嗜んでいるとわかる格好をしているのに、おまけにサラシを巻いて胸を潰しているから一見してすぐには女とわからないはずなのに (ただし胴着を着ている状態の中性的な見た目のせいで逆に妙齢の女子に騒がれる頻度は多い)、 どうしてかそういう時の方が無頼漢に目をつけられる率が高いのだ。剣心に言わせると、『目立つ上に”男装をしている若い娘”という存在が 男の嗜虐心を妙にくすぐるせいだ』ということらしいが、そんなことは薫の知ったことではない。
(本当に面倒だわもう…)
 男二人に無遠慮に触られた事に腹を立て、薫は大きめに身体を捩った。
「ちょっと、放しなさいよ」
「んー?聞こえないなぁ?」
 細い道を大通りとは逆の方向、更に奥まった路地裏の方へと二人の男は足を向ける。薫は左肩と右腕を掴まれてズルズルと二・三歩を引きずられてしまった。
 当然このまま連れて行かれるつもりは毛頭ない。男二人とはいえ酔っぱらいだ。 普段から剣術と一緒に体術もある程度の稽古を積んでいた薫は、頭の中で素早くどう動くかの算段をつけた。
 ――まずは左肩を掴んでいる男の手を捻り上げて(なんなら脱臼ぐらいはさせてしまってもいい)、 それから右腕を掴んでいる男の顔に裏剣を打って、ついでに顎に掌底も入れようか――
 だいたいの算段がついて、さぁやろうかと左肩にある男の手首を薫が掴んだ時だった。 掴んで捻り上げる前に、男の身体が弓なりにしなって吹き飛んでしまったのである。四・五メートルほどは飛んだだろうか。 地面をニ・三回は転がって、男はそのまま短いうめき声をあげて動かなくなった。
「っな――ー!」
 驚きの声を上げた薫の横に、一直線に伸びた足が映った。吹き飛んだ男は背中を背後から蹴り倒されたのだろう。
「抜ちゃん!?」
 抜刀斎は次にもう一人の男へと目を向けた。相変わらず薫の右腕を掴んでいた二人目の男は、 突然乱入してきた者が自分よりも小柄だったことに気を取り直したのか、唾を飛ばして威嚇の言葉を吐いた。
「な、な、なんだお前、横取りしようってのか、この女は俺たちが先に――」
 男の腕をあっと言う間に捻り上げると、抜刀斎はそのまま横の建物の壁に向かって足を踏み出した。薫が止める間もない一瞬のことだった。
「遅い早いを言うなら俺の方がとっくに先だクソ野郎」
「ぐげぇ!!」
 背中で腕を捻ったまま、男の頭を壁に勢いよく打ち付ける。全く手加減しなかったのではないかと思うような大きく鈍い音がした。 そしてそれは一度では終わらなかった。
 二度、三度。額から流れた血液がその度に弧を描いて飛び散っている。
 四度めを実行しようとした抜刀斎の腕に薫が取りすがった時には、男は既に意識を失っていた。
「ば、抜ちゃん!もういいよ、もういいから!それ以上やったら死んじゃう!」
 薫が必死の形相で止めると、抜刀斎はようやく凶行をやめた。意識をなくした男の身体がぐしゃりと地面に投げ捨てられる。
「ごめんね、ごめんね。私が不注意で絡まれたりするから、でも何もされてないし、大丈夫だから――」
 ぼんやりと虚空を見ている抜刀斎の背中をさすりながら薫が宥める。すると最初に蹴り倒されて地面に伏していた男が呻きながら頭を起こした。
「けっ、色目つかってきたのはその女の方だぞ、こっちは暇だから相手してやろうと思っただけ――ー」
 その言葉を言い終わる前に、抜刀斎は男の腹を蹴りあげた。風のように速く動く彼が薫の元から転がっている男の元まで移動するのは一瞬だった。
「ぐはっ」
 抉るように蹴り上げられた腹を抱えて、男はエビのように丸まってもがいている。その横顔を踏みつけて、抜刀斎は足をじりじりと踏みにじった。 踏みにじりながら顎へ移動して、首まで降りていく。
「それ以上薄汚い言葉が吐けないように、喉を潰してやろう」
「――抜ちゃん!!」
 もう少し薫が遅ければ、恐らく抜刀斎は本当に男の喉を踏み潰していただろう。体当たりするように飛びついてきた薫が彼を止めなければ、間違いなく。
「もういいから、大丈夫だから。もう帰ろう?ね?」
 そこから薫はどうにか抜刀斎をその場から引き剥がし、引きずるように彼を家へと連れ帰ったのだった。

***

 家に帰ると、剣心はまだ戻っていなかった。警察からの急な呼び出しということだから、長引くのかもしれない。
 帰路の途中ずっと薫に手を引かれていた抜刀斎は、相変わらずどこか空の一点を見つめたまま、一言も喋らなかった。 先ほど壁に打ち付けた男から飛び散った血液が抜刀斎にも跳ねていて、ただでさえ目つきの悪い彼を更に凶悪に見せていた。 道行く人がギョッとした顔を向ける度に薫は彼を自分の後ろにさりげなく隠さなくてはならなかった。
 彼がようやく口を開いたのは、家に着いて風呂を沸かした薫が『お風呂に入っておいでよ』と声をかけた時だった。
「荷物…」
「え?」
「買った荷物、いくつか落としてきた」
「あ、ああ…そうね…でもいいわよ、また買いにいくもの」
 絡んできた男二人を打ちのめしている間に、抜刀斎が持っていた荷物も薫が持っていた荷物もあらかた地面に散らばってしまった。 急いで場を立ち去る際にだいたいのものは回収したが、それでも拾いきれなかったものはいくつかある。 抜刀斎が購入した絹ごしの豆腐などは到底救出できないほど崩れてしまっていたし、他にも細々とした食材やらは地面に放置してきていた。 だからと言って取りに戻るつもりもない。 絡まれた故の仕方ない対処、と言えば聞こえはいいが、抜刀斎のやったことは実際には過剰防衛もいいところである。 のこのこと現場に戻って面倒なことになるのは避けたかった。
(しばらくあの辺に行くのはやめた方がいいわね…)
 心持ち肩を落としているように見える抜刀斎を励ましながら、薫はとにかく彼を風呂場へと押し込んだ。

 抜刀斎が風呂から上がって来た時には、太陽が西の空に沈み始めていた。季節は晩夏にさしかかっている。 真夏よりは幾分マシになったとは言え、まだまだ気温は高く陽は長い。
「あ、それどう? 昨日縫い上がったばかりなのよ」
 居間に現れた抜刀斎が来ている浴衣を指さして、薫は伺うように尋ねた。以前仕入れた生地のうち、比較的濃い色の柄がはっきりしたものを選んで仕立てたのだ。 抜刀斎は左頬の傷がないせいか、剣心よりも更に優男の度合いが高く、若く見える。見目だけならな舞台役者だと言ってもほとんどの人がなるほどと頷くだろう。 薫が仕立てた浴衣はそういう彼に非常によく似合っていた。
 剣心にはいち早く別の浴衣を仕立てて渡してしまっていた。彼には薄い色の、柄も控えめで落ち着いた生地を選んだ。 一度作ったことのある寸法の浴衣なら、追加で仕立てるのも訳はなかった。
 袖の長さも丈の長さも計ったように合っている浴衣を確かめながら、抜刀斎は小さく頷く。
「うん、ちょうどいい」
 彼が頷くとその拍子に髪から水滴が滴り落ちた。ポタポタと畳に落ちて丸い染みを作る。
「あ、やだちょっと、ちゃんと拭いてから出てきてっていつも言ってるじゃないの」
「…ごめん」
 抜刀斎が持っていた手拭いをひったくって座らせると、薫はわしゃわしゃと髪を拭いた。
(確かこの前も、こんなやりとりをした気がする…)
 既視感のようなものがよぎって、薫は思わず視線をさまよわせた。
 ――そうだ。ついこの前も、こんなやりとりを剣心としたはずだ。そしてその後なし崩しで――
「か、髪、結ってあげようか?」
 記憶を振り払うように申し出ると、抜刀斎はまた小さく頷いた。
 まだ少し湿っている赤毛に丁寧に櫛を入れていく。高い位置で纏めあげると、薫は髪紐でそれを結わいた。
「はい、できた」
「…当然みたいな顔してこう結ぶんだな」
「え?」
 襟足を触り結ばれた髪の位置を確認すると、抜刀斎はため息をついて薫に振り返った。
「あくまで俺は抜刀斎扱いか」
「…でも、あなた最初からその髪型だったもの。それにそうしておかないと、ぱっと見で剣心との区別がつけにくいじゃない」
「……」
 外では蝉がうるさく鳴いている。強い西日が居間の中を照らしていて、最後の足掻きとばかりにじりじりと肌を焼いた。 全てが赤く染まっている。空も空気も目に入る何もかも。まるで橙色の膜が貼られたような世界だと、薫はなんとなく思った。 膜に覆われて、何かが少しずつ滲んでぼやけた世界。
「不公平だとは思わないか」
 数秒か数十秒か。沈黙を破ったのは抜刀斎の方だった。
「不公平?」
「はじき出されたのが俺の方だと、どうして言える?」
「…何のこと?」
「とぼけるなよ。もうわかってるくせに。この奇妙な暮らしの中で平気な顔をしてこの家であんたを抱く『あいつ』の方が異常だと、もうわかっているくせに」
「なっ…!」
 瞬時に顔を赤くした薫に、抜刀斎は更に詰め寄った。
「知ってるよ。三日に一度はあんたが『あいつ』に足を開いてるって」
「っ!!」
「わからないと思った? 声なんて聞こえないから大丈夫だと? そんなわけがないだろう。 この家の中で、あんたの声を聞き取れないなんてことが、気配で何をしているのかわからないなんてことが、俺にあると思うのか」
 あの日。抜刀斎が来て一週間が経っていたあの日の晩から。薫は確かに剣心とそういうことを何度かしていた。 拒もうと思っても流されてしまうのだ。剣心は上手に薫を言いくるめ、なし崩し的にいつも薫を懐柔した。
「『あいつ』は勿論わかっててやってるんだよ。俺が頭をかきむしりながら耐えていることを、わかっててやっている」
「そんな、そんなこと」
「あるわけないと思うか? それこそあるわけないことだ。自分の考えていることなんて、誰より自分がよくわかる」
「…!」
「最初にあんたが決めたんだ。あんたが俺を真っ先に『抜ちゃん』だなんて呼んだから、一も二もなく俺の方が異物扱いになった」
「だって…だってあなたには」
「十字傷がないって?」
 言い当てられて、薫はこくこくと頷いた。最もわかりやすい特徴がその頬に無い時点で、彼は彼女の中での緋村剣心とは違うのだ。
「そんなの、俺の知ったことじゃない…!」
 抜刀斎は歯をギリギリと噛みしめながら絞り出すように言い、薫の肩を強く押した。
「痛っ」
 畳に背中を打ち付ける。起きあがる前に、抜刀斎が素早く薫の身体に覆い被さった。
「不公平だろう」
「ちょっ、なに、やめて」
「不公平じゃないか」
「ばっ…」
 『抜ちゃん』という言葉は途中で飲み込まれた。頭突きをするように口付けられて、薫は衝撃で今度は後頭部を畳に打ち付ける。 ガチンという歯がぶつかる音がした。口の中のどこかが切れたかもしれない。
「むぐっ…うぅっ…」
 首を振って逃げようとしても、頭を両手で押さえられていてそれもできない。舌を抜けるほど強く吸われた。こぼれた唾液が口の横から溢れて顎へとつたい落ちる。
「…っはぁ…」
 ようやく顔を離した抜刀斎は、次に薫の胴着の合わせに手をかけた。躊躇わずに肩まで引き下ろす。 その下に巻いていたサラシを無理矢理上下に開かれて、乳房がいびつな形のまま外気に晒された。
「やだっ、やめて! わたしお風呂も入ってないのよ! 汗くさいから!」
「そんなの気にするわけない」
「あっ…!」
 胸の先端に食らいつかれて身を縮ませる。抜刀斎は薫の両手を畳に縫いつけたまま、乳頭を強く吸った。
「ああっ…」
 薫の上半身が跳ねる。吸われて舌で舐られると、そこから容赦ない刺激が背筋をざわざわと貫いた。
 左右の乳房をひとしきり舐られると、薫の力は急速に抜けてしまった。抜刀斎は片手だけ手を離して、そのまま薫の袴の紐を一気に解く。 腰回りの圧力が無くなったのに気がついた時には、彼はすでに袴の中に手を突っ込んでいた。
「だめ…だめ…わたし汗くさい…」
 うわ言のように繰り返す。それしか拒む理由が思いつかなかったからだ。
「汗だけじゃ、ないようだけど」
「いやぁ…」
 股の間に届いた手がぬるぬるとそこを滑っている。割れ目を探り当てた指が入り込んできて、薫はいやいやと首を振った。 指は中の具合を確かめるように上下左右に動いている。そのたびにくちゃくちゃという粘着質な音を立てた。 溢れ出た液体を別の指が掬って敏感な部分に擦りつける。芽をぐりぐりと押し潰されて、薫の腰が跳ねた。
「あっ…あぅっ…」
「不公平だったこの何週間かを、俺は薫に精算してもらいたいんだ」
 いつの間にか袴は完全に脱がされてしまっていた。抜刀斎は指を引き抜くと、薫の両足を抱えあげて自分の着物の裾を割る。 起立して先走りを流す物を入り口にあてがうと、ぬるぬると滑るそこは自然と亀頭を飲み込み始めた。
「あ…あ…」
 じりじりと陰茎が入り込んでくる。薫は手を突っ張って抜刀斎の身体を押さえようとした。しかし両足を抱えあげられた体勢では全く効力がない。
 半分以上まできたところで、抜刀斎は最後の一押しを一気に進めた。
「あ…!」
 そこからはもう薫にはどうすることもできなかった。一心不乱に腰を降り始めた抜刀斎の髪や着物を引っ張ってはみたが、 まともな抵抗にすらならなかった。胸に押しつけられるほど折り曲げられた足がぶらぶらと宙を舞う。
「ひっ」
 深く入りすぎて子宮の入り口を抉られると、内蔵に突き刺さるような恐ろしい感覚が鳩尾に走る。 肌と肌がぶつかる音は絶え間無く続いた。結合部から溢れたものが尻を伝って畳へと落ちていく。
「はっ…はぁっ」
 荒くなった抜刀斎の息がかかる。汗が乳房に落ちて水たまりを作っていた。 律動の反動で上へ上へとずり上がってしまうのを、抜刀斎が肩を掴んで引き戻す。 そしてまた足を抱え直すと、これまでよりも更に体重をかけて腰を突き入れ始めた。下半身からせり上がってくる感覚に、薫のつま先がぎゅっと縮まる。
「あっ、あっ、あっ」
「…はっ、もう、出る…!」
 最後を告げる声と同時に、二人の身体が同時に反り返った。
「あ――…!!!」
「うっ…」
 子宮の入り口をこじ開けたまま、二度、三度と射精が続く。
 全てを出し切った抜刀斎が薫の上に倒れ込んだ時には、既に陽は沈んで辺りは薄暗くなっていた。

***

 昼間の暑さを引きずるように夜が来ても気温はそれほど下がらない。
 剣心が帰宅したのは、日付が変わろうかという深夜になってからだった。玄関から物音も立てずに家に入った彼を、薫は居間で出迎えた。
「起きていたのでござるか?」
 行灯の明かりを頼りに縫い物をしている薫を見て、剣心は驚いたように声をかけた。
「おかえりなさい」
「うん、ただいま。遅くなってすまぬ。警察からの呼び出しで思いのほか時間を食ってしまった。 買い物には代わりに行ってくれるよう頼んだのだが、大丈夫だったでござるか?」
「ええ、買い出しは付き合って貰ったし、大丈夫だったわよ」
「それなら良かった。……『あれ』はもう道場に引っ込んだようでござるな」
「そうみたい。やっぱり客間より落ち着くのかしらね」
 外では色々な生き物の声が相変わらず鳴り響いている。生活音がない分、昼間よりも大きく聞こえるようだ。
 縫い物を止めるそぶりがない薫に、剣心は首を傾げた。彼女がこの夏で仕立てた浴衣はもう何枚になるだろうか。 めぼしい人物の分は全て作り終わっているはずで、自分の帰りを待つ間の暇つぶしならばもう必要はないはずである。
「寝ないのでござるか?」
「うん、キリのいいところまでやっちゃおうかなと思って。剣心は先に寝てていいよ。疲れたでしょ? あ、それともお風呂入るなら沸かし直そうか」
「いや、帰ってくる前に行水はすませてきたから」
「そう」
 会話が途切れた後も、剣心は動かずに薫をじっと見ていた。薄暗い居間の中では部屋の細部まではよく見えない。
「薫殿」
「なぁに?」

「浮気したね」

 思わず針を指に突き刺しても薫が悲鳴を漏らさなかったのは、そもそもが気を張っていたからだった。顔を上げれば剣心は薄笑いの顔のまま、やはり薫をじっと見ていた。
「……」
 言葉など出てこない。だって何と答えれば良いのだ。『そんなことしていない』とも『はいしました』とも言えず、薫はひたすら沈黙するしかなかった。
 俯いた顔を剣心がのぞき込む。理解できないほど無邪気な顔で、彼は薫の頭を撫でた。

「でも許してあげる。拙者はそんなことで小言を言うほど狭量ではないからね」

 恐ろしい。ただひたすらに恐ろしい。
 ひとしきり頭を撫でて剣心が居間から出ていった後も、薫はしばらくその場を動くことができなかった。