|
ざらざらという音を立てながら、木々は絶え間なく葉を地面に振り落としている。 舞い散るそれらが実にうっとうしい。 耳に聞こえるざわめきはこんなにも心地いいというのに、ここまで際限なく降ってこられては、 もはや風流も何もあったものではない、と、縁は思う。 降り積もった木の葉の下には土がある。そして土の下には虫が居る。 寒さをやり過ごすために眠る、動物も。 夏が終わって実が落ちて、秋になって葉が落ちる。 やがて落ち葉は腐葉土となって、冬を越えた新しい命の目覚めに活用されるのだろう。 そういうふうに繰り返される自然の流れが、あの男にも当てはまれば良いのだ。 ただ息をしているだけで、何にも影響せずされもせず、そんな無感動な生活を送ってばかりいられては。 ━━憎まれるなら憎まれろ。許されたいなら許しを請え━━ もう何年も、あの男も自分も宙ぶらりんのままだ。 お互いにどうしたら良いのかわからず、どうにも出来ず。 ━━だからこれはいい機会なんだ。垣間見えた変化を、逃さないために━━ 見上げた空は傾いた太陽が赤く染めていた。 綿のような落ち葉を踏みしめて、縁は目的の場所へと向かった。 胎動 五 「あなたの名前は?」 ぴしりと向けられた小さな人差指の先を見つめたまま、男は一向に口を開かなかった。 「………」 じっと待ってはみたものの、薫の望む回答はいつまで経っても得られない。 これでは完全に言い損だ。 せっかくこちらから折れて、先に名乗ったというのに。 目の前の赤毛の男はただ自分をじっと見ているだけで、見返りをよこすつもりはさらさら無いようだった。 「……ちょっと。私が名乗ったんだから、そっちも名前言いなさいよ」 両手を腰に当てて、薫はぷんすかと怒りも露わに抗議する。 もう本当に陽は傾き始めていて、今にも山に沈んでしまいそうになっていた。 このままでは日が暮れる前に家に帰り着くのが難しくなってしまう。 「友達と遊びに行く」と言って出た手前、帰りが遅くなるわけにはいかないのだ。 神谷家には、門限というものが特に定められている訳では無い。が、それは普段から薫が、 遊びに出ても日暮れ前までには必ず家に帰るという、きちんとした自分なりの決まりを守って いるためで、幼いながらも両親からの信頼を得ているからに他ならなかった。 もし日が暮れても薫が帰ってこなければ、両親は間違いなく心配するだろう。そして 「一緒に遊んでいるはず」の、友達のところへと探しにいくだろう。 そうなればどうなるか。 嘘がバレるだけでなく、これまで薫が築いてきた両親からの信頼も、無くなってしまうかもしれない。 ━━どうしよう。このままじゃ、怒られるわ━━ いつもは優しい父が、躾や礼儀には人一倍厳格であることを、薫はよくわきまえていた。 怒鳴り散らすわけでも手をあげるわけでもないが、父は怒ると本当に恐い。静かに怒りを湛えたまま、 じっと薫を見つめるのだ。黙って正座をしたまま父と差向い、 何時間も無言のまま過ごしたことが、これまで何回かある。それは無言の問いかけであり、説教だった。 その無言の説教は、薫自身が「何が悪かったのか」、「これからはどうするのか」を自分で口に出すまで、 いつまでも続くのだ。それは薫にとって、針のむしろに落とされるよりも尚、辛い責め苦だった。 父を怒らせる事だけは、何としても避けなければならい。 薫の額に冷汗が浮かんだ。 「も、もういいわ。名前を言いたくないならもういいから。 だからリボンだけは、返してちょうだい。ね?」 こうなったらもう男の名など気にしている場合ではない。 さっさと目的を達成して家路を急ぐ方が先決だ。 リボンさえ取り返せればそれでいいからと、薫は懇願する気持ちを込めて訴えた。 「あれは本当に大事なもので、お気に入りなの。だからお願いします。返してください…!」 「……ここには無い」 「何ですって!?」 目を丸くしている薫から、男は気まずそうに視線を外して言った。 「だからここには、無いんだ」 「なっ…無いって、じゃあどこにあるの…?」 「それなら俺が、持ってるよ」 食いつかんばかりに赤毛の男に詰め寄ろうとした薫の後ろから、突然声がかけられた。 びっくりして振り返ると、白い髪をした男が面白そうに、木々の合間から出てくるところだった。 「それからそいつの名前はね、緋村というんだよ」 絶句したまま固まっている薫の傍まで来ると、白い髪の男は赤毛の男を指差して言った。 「縁……」 緋村と呼ばれた男もまた、目を見開いて白い髪の男を見上げている。 薫は緋村と縁に挟まれた位置で、知り合いらしい二人の様子を奇妙な気持ちに包まれながら 見ていた。 縁という突然現れた男は、見事なほど白い髪をしていた。 その髪はつんつんと外側に飛び跳ねていて、だからといって何かで固めているわけでもなさそうだ。 年老いているわけでもなく、むしろ少年から青年の間というような若さに見えるのに、髪には一本も黒いものがない。 着ているものはどこか異国風で、薫がこれまで目にしてきた一般的な着物とは、少し違っていた。耳たぶには丸い飾りが ついており、青年の動きにつられて揺れている。 大体、ここで出会う者たち━━といってもまだたったの二人だが━━は、何故こうも面妖な出で立ちなのだろう。 長過ぎる赤毛も、逆立った白髪も、薫には珍しいものばかりだ。 「さてお嬢さん。探しているのはこれだろう」 そう言って縁が懐から取り出したものに、薫はあっと声を上げて飛びついた。 「わたしのリボン!」 「先日そこの無神経男が君からかすめ取って来たものだから、俺が預かっておいたんだ。 緋村が素直に君に返すかどうか、疑問だったからね」 「ありがとう!」 にっこりと微笑む縁を見て、薫も素直に謝辞を述べた。最初から捻くれた言動ばかりの 緋村と違って、縁は薫にはとても親切に思えた。誰かの笑った顔を見るのが酷く久しぶりに感じて、 今日一日ずっと緊張に身を強張らせていたのが解れる気がする。何より縁は、緋村よりも親しみやすい。 「………」 「何だ緋村。不満そうだな?」 眉間に皺を寄せて見ている緋村に気がつくと、縁はますます面白そうに笑った。 緋村は赤毛を邪魔そうに掻き上げると、小さく「別に」と言って、不機嫌そうにしている。 「ところでお嬢さん、もう陽が半分も落ちてしまったけれど、帰らなくていいのかい?」 「あ!どうしよう急がないと…!」 気がつくと、太陽は既に半分ほど、山に隠れてしまっていた。 もうこなってしまっては、急いで帰ったところで日没前に家に戻るのは無理だろう。それでも全速力で 帰れば、父の心配と怒りを最小限に留めることはできるかもしれない。多少のお説教は仕方がないにしても、 「無言の正座数時間」は何としても回避したい。 「じゃ、じゃあわたし帰ります!リボンどうもありがとう!」 「あ、待ちなさい」 ペコリと頭を下げ、緋村を少し気がかりそうに一瞥した薫が駆け出そうとすると、 縁がそれを引き留めた。 「緋村。送って行ってやるくらいしろ」 「な……何で俺がそんなこ」 「リボン盗んでわざわざ取りに来させて、その上こんな小さな子を一人で帰すのか。お前は鬼か。 せめてもの侘びと思って送って行け。まったく気がきかない男だな」 縁が一気に捲し立てると、緋村はぽかんと口を開けたまま数秒の間固まっていたが、 やがて心底苦々しいというような顔をして、剣呑そうに立ち上がった。 髪やら着物やらに付いた落ち葉を乱暴に払うと、溜息をつきながら縁の横を擦り抜けて、 薫の方へと歩いてくる。 「え……あのっ……」 どうすればいいのかわからずオロオロとしている薫に、縁が振り向いて微笑んだ。 「危ないから、その馬鹿男に送って行って貰いなさい。 遠慮なんてしなくていい。迷惑料だと思って、ね」 縁がそう言い終わるか終らないかのうちに、薫の身体は突然宙に浮いていた。 「ええ!?」 緋村が薫の帯を引っ掴んだかと思うと、そのまま小脇に抱えてしまったのだ。 まるで飛脚が届け物を脇に抱えるかのように、薫の胴体にぐるりと腕を回して、 片手で軽々と持ち上げている。 薫は手足をバタバタさせながら何とか降ろして貰おうともがいたが、緋村の腕が腹に食い込むほど強く 回されていて、びくともしなかった。 「おい緋村。落としたり怪我させたりするなよ。気をつけろ」 薫は何が何だかわからない。 縁の注意にチッと舌打ちを漏らすと、緋村はくるりと向きを変えて、跳躍した。 縁は満足そうに笑ってひらひらと手を振っている。 一瞬後には舞い上がる落ち葉の音と、薫の絶叫が、夕暮れの山に大きく響いた。 こうだったらいいのにな、という設定の縁くん。 彼が頑張らないと話が進まないという。。 モドル。 ススム。 |