もと居た場所にふわりと舞い戻った男は、どこからが前髪なのかの境目もはっきりしない自身の赤毛を、 鬱陶しそうにかきあげた。
片手には藍色の布が握られている。









胎動 ニ













ざわざわと木々が揺れている中、木の葉は休みなく地面へと落ちていく。人々がやれ綺麗だ、 風流だと騒ぐ紅葉も、彼にとってはどうでも良いことだった。心に響くものなど無くなって久しい。
風が吹くたびにあちこち好き勝手な方向へ散ってしまう長い髪も、いい加減うっとうしくて仕方がない。 切ってしまっても良いが、髪を切って捨てる、そんなことをするのも億劫だと思えるほど、何にも関心が 無くなってしまっていた。

「━━緋村」

背後から聞こえた低い声に、緋村━━と呼ばれた紅い髪の男━━は振り返る。誰かに名前を呼ばれること自体、 酷く久しぶりのことだった。
また少し弱めの風が吹いて、舞い散る木の葉の数が増えた。自分を呼んだ主を見て緋村という男の目が僅かに 見開かれたのは、落ち葉が視界を塞いでいたからではなかっただろう。

「━━━・・・縁・・・」

背後の木に左肩を預けて佇んでいた銀髪の━━、否、白髪の青年は、どこか愉快そうに、 そしてどこか憎らしげに、口の端を少しだけ吊り上げて微笑んでいた。


自分が属する部類のことを何と言うのか、それも本当にどうでも良いことだった。わざわざ自分の 属性を取り決めて形容する事など必要でもなんでも無く、また興味も無い。ただ人の子が 自分を見てどのような呼び方をするのかと言えば、それは「鬼」とか「物の怪」とかいう類いの ものになるのだろう。
━━━くだらない
いつもそう思う。ただ異質な存在にそれらしい名前を付けて、排他的な自分達の群れに酔っているだけだ。 いつの世も、人間とは異なる能力や姿を持った存在などいくらでもいる。ただそういう存在の方が「少数派」 なだけだ。そして彼らの方が穏便で、静かなだけだ。
切っても切ってもいつのまにやら伸びているこの紅い髪。もう切ろうとも思わなくなってしまった。人の子の 姿に似せることに心を砕いた時期も、確かにあったのに。



「随分気に入ったようだな」

縁は相変わらず木に身体を預けたまま、表情も無く言った。それが何のことを言っているのか咄嗟に判断が つかなかったが、その視線が手の中の藍色の布に向けられているのがわかると、何を指して言っているのか 合点がいく。

「ああ・・・別に」

そういう訳じゃない、と事も無く否定して、緋村は藍色の布を近くの枝へと放り投げた。

「だが珍しいことに、アンタは自分から追いかけただろう」

俺は全部見ていたよと言って、枝に引っかかった藍色の布を手に取り、縁はそれをひらひら揺らしながら言う。 その声にはどことなく愉快そうな色が混じっている。

この白髪の縁という青年は紛れも無く人間であり、そして唯一人、緋村が感情ある目で見なければ ならない人間だった。人間のことなど歯牙にもかけずに生きている中で、唯一つ胸に残る、小さな 刺のような存在だった。そこにあるだけで痛いのに、自分では抜く事は出来ない。甘んじてその 痛みを受けなければいけない、縁はそういう存在だった。

「気に入ったんだろう? だからコレを捕ってきた」

尚も布をひらひらさせながら、縁は喜んでいるのか怒っているのかよく分からない表情をした。 たまに緋村のもとをフラリと訪れては去っていくこの青年は、いつもこんな顔をする。慕っていい のか、憎めばいいのか、自分でも決めかねているような、そんな顔をする。






確かに、常には無いことだった。極力人とは関わらない生活をしている自分にとって、この時期 山の紅葉を見て迷い込んでくる人間など煩わしい以外の何者でもない。先程の子供も例に漏れず、 普段なら姿を見られる前に自分から隠れてしまったはずだった。


どこから迷い込んできたのかは知らないが、随分と無礼な子供だった。


無断で髪に触れようとしたのに気づいて咎めると、思いのほか強い眼差しで見返された。
その瞳の色が綺麗だった。
藍色の布で束ねられた黒く艶のいい髪。同じく藍色で統一された気物。全部が全部自分にとって 挑戦的に造られた少女だったような気がする。だからだろうか。追いかけて、いらぬ脅しをかけて しまったのは。
もしかしたらあれは、自分の頭が鳴らした無意識の警鐘だったかもしれない。この小娘はすぐにでも 自分の心に入り込んで、住みついてしまうだろうという、予感に対する無意識の抵抗だったのかも しれない。去り際に掴んだ少女の腕は細く、柔らかかった。酷く強く握ったから、恐らく痕が残って いるだろう。
気が付けば、少女の髪からリボンを抜き取っていた。それは何故か。それもまた、無意識の願望 からくるものでは無かったか。






「気に入った、のかな。だがもう此処へは来る事も無いだろう」

縁から藍色の布を受け取って、緋村は疲れたように言った。
そうだ。もう来るはずが無い。

━━━もしもう一度此処へ来たら、その愛らしい目玉をくり抜いてやろうよ

あんなことを言われれば、二度と此処へ足を向けようとは思わないだろう。自分が去り際に リボンをかすめ取ってきたところで、何も変わりはしないのだ。

「そうかな。本当に来ないと思うかい。あの子供、随分とアンタのことが気にかかるようだったよ」

縁はしたり顔で、緋村を指差しながら言った。

「アンタが捕ってきたのはその布だけじゃぁ無いだろうね。きっと」











うぉー、縁くん初登場・・!
どうも拙宅の縁くんは良い子ちゃんのようです(どこが)。






モドル。 ススム。