かごめかごめ
籠の中の鳥はいついつ出やる
夜明けの晩に







「エエもう口惜しい高田の旦那ときたら! 余所の妓に浮気するとはわっちを馬鹿にするにも程がありんす!」

部屋に入ってくるなりぷりぷりと怒りを撒き散らしだした姉女郎が脱いだ着物を受け取って、
薫は衣紋かけへと近づいた。皺にならぬよう注意しながら丁寧に着物をかけていく。
姉女郎は結っていた髪を乱暴に解き、そのままふてくされたようにぺたりと畳に腰を下ろした。

「ねえ薫ちゃんアンタもそう思うでしょう?」
「そうですねぇ姉さん。後で若い衆と一緒に、大門でとっ捕まえて文句の一つも言っておきんしょう」

着物がきちんとかけられたことを確認すると、鏡の前に置いてあった櫛を取って姉女郎の背後へと回る。 所々ほつれてしまっている長い黒髪を少しずつ解いていくと、その優しい薫の手つきに、姉女郎の怒りも幾分 治まったようだった。

「ぜひそうしておくれな。あの古狸、侘び金たっぷり払わせてやる。  元は政府の高官だか知らないけど、ここ吉原には吉原の道理ってもんがあるんだから」

「へぇ、高田様は、元は政府の方だったんですか。凄いですねぇ」

絶え間なく櫛を動かしながら、薫が感心したように聞き返す。

「凄いもんか。昔はどんなに偉くたって、今じゃただの威張り腐ったじじぃだよ。 何だかこれ見よがしに護衛なんてつけてさ。その護衛はまあ、中々のいい男なんだけどねぇ」

「へぇ、じゃあ今度のお座敷の時は、よく見ておきんしょう」
「まぁ、今度また浮気なんかしたら、こっちから見限ってやるけどね!」


***


時刻は七ツ時(午前4時)。外はまだ真っ暗だったが、吉原の大門には、きぬぎぬの別れをする遊女と客がぽつぽつと姿を見せていた。

その中の一組に向かって迷いなく近づいた薫は、提灯を掲げて人物を確認すると、腹の底に力を入れてから声をかけた。

「高田様」

提灯の明かりに照らされて顔を上げたのは初老の男で、その横には今晩の遊び相手であったのだろう女郎が寄り添っていた。 少し距離を開けたところに、向こうの見世の若い衆と番頭らしき者たちが数人控えている。

「松葉屋は瀬川花魁お付の新造、薫でござんす。この度の高田様のお仕打ちに姉さんは酷くお怒りのこと。 そちらのお見世さんへの苦情も合わせて、お伝えしに参りんした」

固い表情のまま一気に言い切ると、向かいの一行は皆一様に気まずそうな顔をした。
それはそうだろう。吉原では一度馴染みになった花魁以外の妓に通うのはご法度で、それは周知の事実であった。 いくらこそこそと目立たぬように通ったところで隠せるものではない。
薫の後ろにもまた、松葉屋の男衆が数人控えていた。他の花魁や見世に客が流れるのを許容することは自分の見世の沽券に関わる。 こうして大門で客を待ち伏せて苦情申し立てをすることは、当然のことだった。

提灯を掲げたまま睨みをきかせている薫の前に、すい、と腕が割り込んだ。 骨ばった神経質そうな手が、制するようにゆっくりとかざされる。

「お怒りは御尤も。だがこんな時刻ですので、お話は後日改めてということにして頂けぬか」

一体どこから出てきたのか。その男は高田の前に立つと、静かに薫を見つめた。



提灯の明かりに照らされた頬に十字の傷。髪は赤く、腰には二本の刀を差していた。
背は薫よりも少し高いくらいだろうか。瞳は何の感情も映していないようで、その顔は能面のように虚ろだった。




それが出会い。
薄曇りの月が鈍い光を落す、夜明けの晩のことだった。




鶴と亀がつぅべった
後ろの正面だぁれ





***


「ふふっ」

通りに面した茶店の長椅子に腰かけて手に持った湯呑を見ながら、薫は小さく笑った。

「何が可笑しいんだ?」

隣に座る赤い髪の男は突然笑いだした薫を怪訝そうに眺める。昼間の吉原は人もまばらで、 夜の喧騒が嘘のように静かだ。

「いえ、初めて緋村さんと会った時のこと、思い出してたの」
「なんだ、そんなことか」

そんなことは思い出さなくていいのに、と、赤い髪の男はバツが悪そうに自分の湯呑に口をつけた。 浮気男の詰問現場などで睨み合った記憶など、恥以外のなんでもない。

「緋村さんも大変よね。高田様の遊び歩きに引っ張り回されて」
「仕方ないさ、これも仕事のうちだから」
「色ボケじじぃのお守をするのが?」
「色ボ…そんな言葉どこで覚えるんだ」
「やぁね、ここをどこだと思ってるの?天下の吉原で振新やってる女が、『そんな言葉』を 覚える機会なんか腐るほどあるのよ」
「………」

薫の言葉に緋村は押し黙る。その眉間には少しだけ皺が寄り、何故か機嫌は急速に下降したようだった。

吉原の大見世である松葉屋には、6人ほどの遊女が居た。その中でも一番人気なのが瀬川花魁で、 薫はその瀬川が抱える振袖新造ということになる。いわば遊女の見習いのようなものだ。 仕事と言えば花魁の身の回りの世話から芸事の稽古、花魁のお座敷でのお酒のお伴など、多岐に渡る。
客を取ることは無い。時には多忙な花魁の名代として客のもとに呼ばれることはあっても、 床入りはしないのが決まりだった。

今日も高田は瀬川の所へ遊びに来ていた。高田の御法度破り━━つまりは浮気━━を、高額な詫び金を 払わせることで許したらしい。

「申し訳ないな。こんなつまらぬ男の相手をさせて」
「え、そんなこと思ってないけど?」

真昼間から花魁通いとは豪気なことだと呆れはしても、迷惑などと思ったことはない。

「わたし、お酒ってちょっと苦手なの。だから高田様が来る時はこうやって緋村さんとお話ししていられて、 むしろ有難いくらい」

高田の護衛として付き添って来る緋村は、決して女郎を買おうとはしなかった。
薫と出会ってからは、専らこうして茶店などで他愛もない話しをして過ごすか、夜であれば 見世の一室で一人で休んでいくことが多かった。



「あれでも、高潔な人だったんだ、昔は」
「え?」

緋村は両膝に腕を乗せて、地面をじっと見つめたままポツリと言った。

「高田さんだよ。維新の頃には鬼のように働いて、理想に燃える人だった」
「……そう」
「どうしてこうなったのか、拙者にもよくわからない。維新の頃は皆それぞれの理想を掲げて、 それに向かって懸命に走っていたはずなのに。今や政府のあちこちは腐りかけていて、 理想など影も形も見当たらない者の方が多い」

「それでも、緋村さんは高田様の護衛を続けるの?」

顔を上げた緋村と、薫の視線が交差した。



「あのね、緋村さん、伝えておきたいことがあるの」

湯呑を長椅子の上に置いて、薫が緋村の目を真っすぐに見つめる。



「わたし、突き出しの日が決まったの。お相手はまだどうなるかわからないけど、 多分、高田様になると思う」

━━姉女郎のお得意様が務めるのが、習わしだから━━



そう言った薫の声が、時間を止めるように昼の通りに溶けて消えた。





***





「まぁ、綺麗ねぇ。薫ちゃん、吉原一の別嬪だわ!」

見世の女将がパチンと手を叩いて感嘆の声を上げる。
部屋の中では数人の女達が忙しく動き回っていて、その中心ではこれでもかというほど飾り立てられた薫が、 人形のように鎮座していた。
立兵庫に結われた髪の中心には大きな鼈甲の櫛を刺し、それを取り囲むように細長い簪が何本も刺し込んである。 重たい着物で身動きもままならないまま、薫は曖昧に笑った。

「さて、座敷の準備がどうなってるか、ちょっと見てこようかね。あんたたちも一緒に来ておくれ。 瀬川や、薫の仕上げはお願いするよ」
「あい、お母さん」

周りの女達を引き連れて女将が部屋を出ていくと、後には薫と、姉女郎の瀬川だけが残った。


「ほんとに綺麗だねぇ、薫ちゃん。あんたを妹分に持って、わっちはとっても楽しかったよ。 今までありがとうねぇ」

簪の位置を微妙に直しながら、瀬川が薫の手を撫でる。

「姉さん、それはこちらの台詞ですよ。こんな禿上がりでも無いぽっと出を、ここまで面倒みてくだすって、 感謝してもしきれません」

「あんたがこの吉原に来た日のこと、今でもよく覚えてるよ。育ちのいいお武家さんの娘が こんなところで生きなきゃならんってのは、一体どれほど悔しい事か。江戸の幕府が潰れても、 時代が明治に変わっても、この吉原は何も変わりゃぁしない。いつだって割を喰うのは女ばかり」




開け放った窓からは、外で遊ぶ吉原育ちの子供たちの声が聞こえてくる。吉原で生まれた子供は、 その大半が遊女の子だ。女の子であれば行く行くは禿として遊女の見習いに入り、男であれば見世の若い衆として 働き出す。いずれにしろ外の世界に出ることは稀だった。
この吉原という籠の中で、子供たちは外の世界も知らずに歌っている。


「かーごーめ、かーごーめ、かーごのなーかのとーりーいはー……」




「嫌な唄」

窓から微かに聞こえてくるその歌声を聴きながら、瀬川が眉を寄せて言った。

「……そうですね」
「あれはわっちらを嗤う唄さ。かごめに籠女をかけて、わっちらを嗤う唄さ」

立ちあがった瀬川が、勢いよく窓を閉める。



「それにしても薫ちゃん。今更だけどさ、あんた、その…本当にいいのかい。突き出しのお相手、高田様で」

薫を気遣うように、瀬川が聞いた。



「姉さんさえ悪く思わないでくださるなら」
「そんなことを言ってるんじゃないよ。あんた、あの赤毛の━━」





続く言葉を聞いて、薫の顔が少しだけ曇る。だが返す言葉がその口から洩れることは結局無かった。






かごめかごめ
籠の中の鳥はいついつ出やる
夜明けの晩に 鶴と亀がつぅべった
後ろの正面 だぁれ









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