飛び散った鮮血が少女の頬にまで飛んだ。
生温く赤いそれは不快な感触だけを残して肌を伝い落ちていく。
━━汚いな━━
舌打ちが漏れた。なんだってこう生き物には、体液などという余計なものが流れているのだろう。

「がっ……は……」

鎖骨の下を深く抉られた男は蛙のような呻き声を漏らし、たった今自分に刀を突き刺した相手の顔を驚愕の目で見ている。
確かに少女だったはずだ。間違いなく女子高生だったはずだ。セーラー服を着た、どこにでもいる今風の。それなのに何故か、ためらいも無く刀を肉から引き抜いたその姿には冷たい瞳の『男』が重なって見えるのだ。

「な……」

しかし疑問が声になる前に、男はそのまま崩れ落ちるように地面に倒れていった。

静まり返った場所で立ち尽くしていた少女がふいに顔を上げる。
まるで今さっき目が覚めたというように瞳を何度か瞬かせると、周囲をキョロキョロと見回した。
ここはどこか廃墟の屋上らしい。
空は青く晴れ渡っていた。
ひび割れたコンクリートの地面には、趣味の悪いガラもののシャツを着たいかにもチンピラ風の男が数人転がっている。
それぞれ身体のどこかしらから血を流していて、どの男も死にかけの虫のようにピクピクと痙攣していた。

少女はセーラー服を着ていた。当然のように血で汚れてはいたが。
手に握り締めた日本刀を見ると、同じようにべったりと生温い赤い液体が付着している。

「おぅ嬢ちゃん、今回も絶景だなあ」

背後の階段から唐突に現れた男に少女は一瞬身構えたが、見知っている顔だとわかると力を抜いた。

「左之助」

この場には全く相応しくない間延びした鼻唄を歌いながら、左之助と呼ばれた男はポケットからカメラを取り出した。 地面に転がる男たちを足で器用に仰向けに転がすと、手際良く写真に収めていく。

「おぅおぅ痛そうだねぇ。いつものことながら容赦がねぇなぁ」

最後に倒れた男の傷を見ながら、左之助がしみじみと言った。

「でも生きてるでしょ。誰も死んでないわよ」
「いやまぁそうだけどよ…」

ビュンと勢いよく刀を振り、刀身に纏わり付いていた血液を弾き飛ばす。
地面に転がっていた鞘に納めて歩き出した少女に、左之助が気がついて声をかけた。

「嬢ちゃん、どこ行くんでー、俺昼飯まだなんだよ、一緒にしねえか」
「アンタの財布なんていやよ。これからデートなの。渋くてダンディーなおじ様とね」

振り返らずに返した。どっちにしろこんな血みどろの恰好では、どこにも行けやしない。

「タフだねぇ」

鉄扉が閉まるすき間に、左之助の声が滑り込んだ。







少女K





永遠に続くような威圧的な黒い壁に囲まれた、鼠色の堅固な建物の入り口で。
壁にもたれてタバコを燻らせていた男は、目の前に仁王立ちしている薫の姿を一瞥すると微かに眉を潜めた。

「もう少しうまくやれんのか、神谷」

顔からセーラー服の裾までいたる所を赤く染めて立つその姿はさながら幽鬼のようだ。 背負っている刀の黒い鞘が太陽の光に反射して鈍く光っている。これが女子高生だというのだから世も末だ。

「うまくやったじゃない。何か問題でも? 斎藤さん」
「ここの所、血を浴びた女子高生の目撃通報が多くてな。それだけ返り血を浴びるのは『下手』な証拠だ」
「知らないわよ。そういうことは『あの人』に言って。結局大立ち回りする時は私じゃないんだから。ま、多分無駄だけどね。 どうも好んでわざとそうしてるみたいだから」

左頬に付いた血液を擦りながら薫が肩を竦める。

「……悪趣味なことだ」
「斎藤さんだって人のこと言えないでしょ。この前時代的なセーラー選んだ時点で。どうせなら一点物のブランドでも支給してくれれば、私も汚さないように何とか努力してみますけど?」
「………」

会話に飽きたのか疲れたのか、斎藤は深く煙を吐き出すとくるりと背を向けて建物の中へと消えた。 細身で長身の男の背中は相変わらず神経質そうな気配を漂わせている。ゆるゆると流れてくる紫煙を追いかけるように、 薫も暗くまっすぐ伸びる廊下へと進んで行った。



***



白い部屋だった。
人工的な証明によって照らされた室内は一見病室のような、というよりは寧ろ手術室のような潔癖さと冷たさに満ちている。
まるで四角いガラスケースのような部屋だ。中の物をひたすら観察するための透明なケース。そのガラスケースの中央には机と一台のPCが置かれていて、その横には硬そうな椅子に鷹揚に腰かけた一人の囚人が居た。
ベルトで厳重に拘束された両腕。自由に動かせるのは指ぐらいなものだろう。 Tシャツの裾からはいくつものコードが伸びていて、何かの医療機器と繋がっている。
髪は赤く長く、伸ばしっぱなしの前髪からは虚ろな瞳が覗いていた。
頬にかかる髪の隙間から、大きな十字の傷が見え隠れしている。

「おかえり、薫さん」

斎藤と薫が居る、ガラスを隔てた横長の部屋の天井に取り付けられたスピーカーから、ノイズ混じりの声が流れた。
途端に薫の眉間に皺が寄る。

「それやめてくれない。毎回、気に障るの」

ガラスの向こうで拘束されている青年は薫の不機嫌な顔などどこ吹く風だ。瞳と同じように虚ろな笑顔を貼り付けたまま、じっと薫を見つめている。

「画像は見たか緋村」

マイクのボタンを押して煙草を片手で摘まんだまま、吐き出す煙と一緒に斎藤が質問を投げた。
緋村と呼ばれた男は途端に笑顔を消し、初めて存在に気がついたというように斎藤に目を向ける。

「邪魔するなよ斎藤。俺は彼女と話したいんだ。お前の辛気臭い顔なんて見たくない」

「黙れ囚人。俺とて貴様のツラなど見たくもない。貴様が自分の役割を果たすつもりがないのなら、神谷をここに連れてくる意味もないな」

ピリピリとした空気が数秒続いた。この場に居る誰しもが互いの腹を探り合っている。
無言のまま斎藤を睨んでいた━━睨むというほど感情の込められた視線でもなかったが━━緋村は、ちらりと薫に目を向けると観念したようにふぅと息を吐いて、横にあるPCのキーボードをカタカタと叩きだした。拘束された両腕を持ち上げるのは窮屈なはずなのだが、聞こえてくるキーを打つ音は滑らかだ。

「まだ左之から全部は送られていない。動画は見たんだがな」
「動画だと」
「瀬田に頼んであったものだよ、俺の個人的な趣味だ」
「フン、欲求不満か」
「何とでも」

淡々とキーを打っていた緋村がパチンと一つ大きくEnterキーを叩くと、PCの画面には廃墟の屋上で数人のチンピラと立ち回りをする薫の姿が映し出された。音声は無く、ただくるくると蝶のように舞う薫がヒラリヒラリと男たちを薙ぎ払っている。

画面の中の薫を目で追いながら満足げに笑っている緋村を見て、薫は心底嫌そうな顔をした。

「斎藤さん、この人いつ死ぬの」

マイクのボタンはOFFになったままだ。
PCの画面に夢中になっている緋村に焦点を当てたまま、薫が斎藤に尋ねた。

「さあな、明日か明後日か明々後日か」
「そう言ってもう1年は経つわね」
「俺が知るか。だいたい執行日を死刑囚に告げるのは…」
「原則でしょ、本人の前以外ならいいんじゃないの」
「阿呆、絶対厳守だ」
「だって見た事ないんだもの、この人が、人間らしく見えた所」
「……命乞いでもすると思ってるのかコイツが」
「だったら面白いのにね、ってだけよ」

鼻白む薫に反応するように、緋村がPCから顔を上げた。薫と目が合うとニコリと笑う。 こちらの会話は聞こえていなかったはずだ。それなのに、全てが筒抜けになっているような感覚に陥るのは何故だろうか。

「この中に記憶に残っている奴はいない」

Enterキーを叩いて画像をスライドさせながら、緋村が言った。斎藤は溜息を吐きながらマイクをONにする。

「今回も外れか。これでまた命の期限が伸びたな」

「斎藤、席を外せ。彼女と二人きりで話がしたい」
「阿呆が。そんな事が出来るわけがないだろう」
「いいや出来るさ。何の問題がある? 俺は見ての通り両腕も碌に使えない。おまけに彼女との間には分厚い強化ガラスだ。 それに彼女と二人で話をさせてくれるなら、『何か大事なこと』を思い出すかもな」

飄々とした緋村の様子からは何を考えているのかなんて読みとることは出来ない。いつもそうだ。
緋村と斎藤の無言のやり取りが続く。
結局折れたのは斎藤だった。

「……5分だけだ。カメラでの監視も当然切らん」
「結構」

斎藤が部屋を出ていく後ろ姿を見送ると、薫はマイクに近づいて身を乗り出した。
緋村はニコニコと笑ったままこちらを見ている。

「この刀をうまくコントロールできるようになったらって条件よね。12年前の、父の事について教えて」
「君は僕にそれしか聞かないな」
「当たり前でしょ、あなたと私の接点なんてそれしかない」
「もっと僕に興味を持ってくれれば、別の角度から何か違う事が聞けるかも」
「ふざけないで」
「医者がね、今度いい催眠術師を紹介してくれるらしいんだ」
「それで、思い出すの」
「さあね、努力はしてるよ。まあ、でもまだだよ、コントロールだけじゃ。 それに宿ってる奴の人格全部を綺麗に消し去ってくれないと」
「…話が違うわ」
「じゃないと、だって、君も困るだろう?刀を持つ度に奴に記憶を持ってかれちゃ」

のらりくらりと交わす緋村を、薫は目を細めて睨む。噛み締めた歯がギリギリと音を立てた。

「じゃあ何で人払いなんてしたの。何か教えてくれるつもりがないなら、私はもう帰るわ」

マイクのボタンを勢いよくOFFにして身を翻す。
ドアに手をかけようとした薫を、すかさず緋村の声が止めた。

「薫」

ビクリと肩を揺らして振り向いた薫の、表情は更に険しくなる。

「誰が呼び捨てにしていいって言ったの?」

「ああ、すまない、つい。…薫さん、こっちに来てくれませんか」

ズルリといくつものコードが擦れ合う音がする。緋村がのそりと立ち上がったからだ。
コードを引きずったまま歩いた緋村は、強化ガラスのすぐ近くまで来るともう一度薫を呼んだ。

「嫌よ。私はもう帰るの。言いたいことがあるならここで聞くわ」

「つれないな。たまには優しくしてくださいよ。お願いだから、こっちへ来て。顔をよく見たいんだ」

逡巡した薫が、しぶしぶガラスに歩み寄る。ガラスから50pほどの距離を開けて正面に立つと、唐突に緋村がガラスに手を当てて身を寄せた。ガツンと鈍い音を立てて、振動が伝わってくる。急に間近に迫った男の顔に薫は背を反らした。思わず後ずさるが、視線は緋村から外すことができない。色素の薄い茶色の瞳の瞳孔が広がりかけている。笑いながらガラス越しに薫に迫るこの男は、間違いなく狂っているのだ。

「一度しか言わないからよく『聞い』て」

続く言葉を緋村は声に出さなかった。ガラスに覆い被さるように向けられた顔は監視カメラからは四角になっている。
その口の動きは、薫にしか見えなかっただろう。読唇術など習得していない薫でも、どうにか『聞く』ことは出来た。
ゆっくりと大きく動く緋村の口が、確かにこう言っていた。

「だ れ も 信 じ る な」


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