ブラブラと当ても無く歩きながら、左之助はもう何度目なのかわからない、
苛々とした溜息を吐いた。
何に対しての苛立ちなのかもはっきりと言い表せず、強いて言うならそれは、
これまでの自分への「後悔」からくるものかもしれないと思う。
(いや待て。『俺』は悪くねぇだろ)
そうだ、とも、そうじゃないとも、言い切れないことが更に腹立たしい。
(大体だな。これは『あいつら』の問題であって、俺には関係ねぇことだ)
そうであって欲しかった。
誰と誰が一緒に居ようとも、それは当人たちの問題であって、
自分には責の無いことだと。思いたい。
でもそれは単なる言い逃れだと、頭のどこかで言う声がある。
(・・・やってらんね。阿呆かっつーの)
「左之助?こんなとこで何やってんだ?」
クサクサとした思考にうんざりし始めていると、
よく聞き慣れた声が耳に届いた。
顔を上げると、竹刀を背中に背負った少年が、正面から訝しげにこちらを覗いている。
「弥彦か」
「他の誰に見えるんだよ。お前馬鹿か?」
「・・・・・」
ああもう。やり返す気にもならない。
いつものじゃれ合いさえ今は鬱陶しかった。
(おめぇも、共犯だからな)
むっつりとした顔でただ睨んでいると、
弥彦は肩透かしを食ったようで、何も言わずに突っ立っている左之助を、
奇異なものでも見るように眺めた。
「何だよ。言いたいことがあるなら言えよ」
「別に」
この、トゲトゲしさはどうだろう。
傍若無人な態度は今に始まったことではないにせよ、
どうも自分はいわれの無いことで八つ当たられているのではないかと、
弥彦はうっすらと悟る。
「おめぇなんで、嬢ちゃんと一緒に帰って来なかったんだよ」
「はぁ?」
突然何を言い出すんだこの男はと、弥彦の眉間にはますます皺が寄る。
なんでも何も、出稽古の後に薫と別れてそのまま自分だけ赤べこに向かうのは、
最近ではよくあることだった。
今がまさにその赤べこからの帰り道であることは、
この道で出くわしたことからも明らかである。
「薫に何かあったのか?」
はっとして早口に左之助に尋ねた弥彦の声には、咄嗟に焦りの色が混じった。
一人で帰らせたことで薫に何かあったのなら、こんな風に責める表情を向けられるのももっともだ。
しかし左之助は「ちげぇよ」と吐き捨てて、明後日の方向を向いてしまう。
「『何か』をしたのは嬢ちゃんのほうだけどな」
ボソっと呟いた左之助の言葉を捕らえて、弥彦はまた「はぁ?」と素っ頓狂な声をあげた。
**********
「で。竹刀で一発入れたら相手がのびちゃったから、そのまま帰ってきちゃった」
先ほど左之助に言ったのと同じ内容を話し終わると、
薫はふうと息をついた。
ずっと指で辿りながら傷の具合を見ていた剣心は、
薫の最後の一言を聞くと少しだけ目を見開いて、薫の首から手を離した。
手を離した後も相変わらず探るような目で眺めてくる剣心の視線に、
薫はむずむずとどこか落ち着かない気分になる。
「よく、倒せたで御座るな、その相手」
意外そうに言う剣心の様子に薫は少し、むっとする。
「そりゃだって、相手はかなりの酔っ払いだったもの」
そうでなくたって、あの程度の相手に負けるつもりは毛頭無い。
それはいくら自分よりも格段劣るとはいえ、薫の実力を知っている剣心ならば、
簡単にわかりそうなことだ。
それとも自分は、それほど弱いと認識されているのだろうか。
それは腹立たしさ半分、惨めさ半分で、薫を憂鬱にさせた。
「いや、そうではなくて・・・」
その後に何かを続けようとした剣心は、少しの間沈黙して、
ついぞその先を言うことは無かった。
そうじゃなくて何なの?と、首を傾げて尋ねてくる薫に苦笑いをしながら手を振り、
何でもないからと、再び夕餉の準備をしに戻る。
「とにかく、たいした怪我じゃなくて良かった。
今度からは酔っ払いに絡まれても、受け流して逃げてくるので御座るよ?
今回は上手い具合に相手を倒せたから良かったものの、何か大きな怪我でもしたら、
取り返しがつかないのだから、ね」
穏やかに諭す剣心の背中を見ながら、薫は少しだけ頬を膨らませて答えた。
「はーい。わかってます」
*******
「酔っ払いに絡まれたぁ?」
左之助と並んで歩きながら、弥彦は呆れたように聞き返した。
「何だそんなことかよ。別に、あいつが酔っ払いに絡まれるのなんて、
今に始まったことじゃないだろ」
普段散々ブスだの何だのと言ってはいても、
薫の外見がそれなりに整っていることは弥彦もわかっている。
おまけに剣術をやっている若い女なんて、それだけで十分目立つのだ。
何やかやと薫が因縁をつけられるのにも、幾度か居合わせたことがあった。
「首に一発ブチ込んで、ノシちまったらしいぜ」
自分の首の後ろをトントンと叩きながら、左之助が遠くを見ながら言った。
弥彦の足がピタリと止まる。
「あいつが?」
俄かには信じ難いというような顔で、弥彦が聞き返す。
足を止めた弥彦を振り返った左之助は、妙に諦めた目をしていた。
「サラリと言いやがった。『そのまま帰ってきちゃったけど?』だってよ。
その後すぐ俺は道場を出て、絡まれたっていう辺りを見に行ったが、
流石にもうその酔っ払いは居なかった。そりゃあそうだろうな。
女にあっさりノされちまったんじゃ、目が覚めたら即効で逃げるのが普通ってもんだ」
いやそんなことはどうでもいいんだと、左之助はさらに続けた。
「俺が気になったのは、『どんなふうに』嬢ちゃんがその相手をはり倒したのかってことだ。
あの、嬢ちゃんが、だぜ。命がかかった本気の決戦の時ならいざ知らず、
単なる酔っ払いが絡んできたぐらいで、相手が気絶するぐらいの打ち込みを入れたんだ。
まぁ、その酔っ払いは刀を抜いたらしいけどな。しかし、だ。そんなもん、
足払いでもかけて転ばせりゃ、その隙に逃げられるだろ。それが出来ねぇ嬢ちゃんじゃねぇ」
そこまで一気に話すと、左之助は軽く息をついた。
黙って話を聞いていた弥彦は、深く考え込んで、口を開いた。
言ってもいいのかどうか、わからないといった感じで、弥彦は気まずそうに言う。
「最近のアイツの稽古、前より数段荒いんだ」
それは別に、今此処で、とりたてて言うほどのことではないようにも思われた。
薫の稽古が厳しいのは以前からで、決して優しい師範代ではなかったし、
勿論弥彦自身、厳しい稽古が嫌だなどとは微塵も思っていない。
むしろ厳しければ厳しいほど張り合いも出るし、歓迎すべきことだった。けれども。
「荒いっていうか、なんつーか、怖いんだよ」
出稽古先の門下生に対する態度にも、時折氷点下のような冷たさがちらつくことがあった。
薫に隙を見せたが最後、容赦の無い一撃を食らい、吹っ飛んだ奴らを何人も見ている。
「時々、ゾッとすることが、ある。俺でも。
あいつは何か、何かを、押さえ切れなくなってきてるんじゃないかと、思うんだ。」
軽い焦燥にも似た予感のようなものが、弥彦の中にも生まれつつあった。
「ああ全く!めんどくせぇなぁ・・!!」
突然大声を出した左之助の横で、弥彦はビクリと肩をすくめる。
この男の大声は心臓に響く。少しは周りを気にしろよ、と、
弥彦の肩眉が跳ね上がった。
しかし文句の一つでも言ってやろうとした時に届いた左之助の一言に、
弥彦は自分の耳を疑った。
「剣心を嬢ちゃんの側に居続けさせたのは、間違いだったかもしれねぇ」
「・・・・・オイ」
そんなことは冗談でも言うなと、弥彦の殺気さえこもるような視線を受け、
左之助も苦虫を噛み潰したような顔になる。
「そんな睨むなっつの。大体な、おめぇも十分共犯なんだよ。
俺も、お前も、恵も、あいつら二人に関わった奴らはみんな共犯だ。
よく考えもせずに、二人を煽ってけしかけた。そりゃあそうだ。どうせ他人事だからな。
十年も流れてきた哀れな剣客と街で評判の剣術小町がまるく納まれば、
そりゃ誰だって気分がいい。『これでこいつらは幸せになれる』と、
無条件に思い込んだ。勝手なもんだ。煽るだけ煽って、
その後どうなるかは知ったこっちゃねぇ、ってな」
弥彦には何も言えなかった。事実その通りに違いは無かった。
「あいつら二人は対極だ。少なくともこれまでは、な。
でもこれからはどうなる? 対極に居るような二人がそのまま一緒に居られるか?
答えは否だ。どっちかがどっちかに引きずられる。
影響されると言った方が判りやすいかもな。
そんでもって引きずられるのは十中八九、嬢ちゃんだ」
「そ・・・」
そんなことはわからないだろ、と、反論しようとして、それは結局弥彦には出来なかった。
人が人と一緒に居れば、少なからず影響し合うのは当然のことだ。
しかしその程度や、その結果の良し悪しなんて、弥彦にはほとんど判らなかった。
「少しぐれぇ感化されるんならいい。でもあいつらは極端すぎるんだ。
人斬りで何百という人間を殺してきた男だぞ。そんな奴の人生の一部になってみろ。
一人の小娘が死ぬのなんか、簡単だ」
「『神谷薫』が死ぬのなんて、簡単なんだよ」
誰かが死んで、誰かが嘆いた。
彼は笑いそして。
彼女は彼女自身の死を悼んだ。