繰り返される日常がどれほど大事なものかということを、
知っているのと実感するのは訳が違うのだと、知っている。
そもそも自分が求めたものは何だったのだろうか。
良くも悪くも「能力」だけは持っていた。そして信念もあった。確実な希望だけが無かった。
そは暗きみどりの空にむかし見し幻なりき
全ての人々が平穏に暮らせる世の中など無い。
そんなものがあったら驚きだ。
毎日どこかでは大なり小なり争いが起こり、多かれ少なかれ人は死ぬ。
全ての人間が平穏に暮らせる時代なんてこれまでも在りはしなかっただろう。
在ったのは出来るだけ多くの人々が平穏無事に暮らせる「かもしれない」時代だけだ。
可能性の有無だ。
それでも「より平和な世の中」を、目指したことに間違いがあったとは、思わない。
それは思ってはいけないことだ。何よりも。
しかしでは、「より平和な世の中」とは、何だろう。
毎日毎日地を這うような思いで人を斬り捨てながら、
必至に縋り付いた信念の中に見た未来とは、一体どんなものだっただろうか。
わからない。
具体的なものは何も無く、漠然とした思いだけがあったのだから。
「けーんしん。何やってるの」
顔に被せた腕をどければ、興味深そうにこちらを覗きこむ顔が見える。
太陽の光が直接目に飛び込んで、目は細く開くことしか出来なかった。
縁側に寝転んでまどろむのがかなり好きだということに、気がついたのはそう昔のことではない。
こうやって逆さまに映る彼女の顔を見るのも、もう何度目だろうか。
「こんなとこに横になったら、身体が痛くなるよぅ? 座布団でも敷けばいいのに」
ケタケタと笑いながら覗き込むこの人ならば、明確な答えを出せるだろうか。
いや、そんなことは考えたこともないかもしれない。
考えるまでもなく、本能がきっと知っているだろう。
張りのある肌と、健康そうな顔色。
よく動く手足と、それ以上に動く口。
動くことと食べることと眠ること全てを健全に好む人間は、好める人間は、
恐らくそれほど多くは居ない。
よく笑い、よく怒り、よく食べ、よく眠る。
まるで「こうあるべきだ」という手本のようなこの人は、存在そのものが貴重だ。
ろくに返事もしないまま、笑いだけが口元に浮かんだ。
「うわ、剣心、その笑い方気持ち悪い・・」
思い出すのは。
何かをしなければと逸る気持ちと、濁ったようにかすんだ空の色と。
そして胸掻き毟るような離人感。
『この手で奪う命の先に、誰もが安心して暮らせる時代が、あるのなら』
理想と呼べなくもないそれは、しかしなんと傲慢だったことだろう。
何かをしなければ。何かが出来るはず。
そして払われた犠牲の向こうには、それが払拭されるだけの価値のある時代がやってくると。
━━━でもその思い描いた未来には、自分の姿だけはどこにも無かったじゃあないか。
何かを変えて、変えるだけ変えて、そこで放り出すのは単なる無責任だ。
それこそ一番の罪だったと言ってもいい。
先駆者というものは何かを変えただけで素晴らしい功績になるけれども、
自分は先駆者でさえなかっただろう。それは時代を憂えた末に、幕府と戦うことを決意した人たちのことをいうのだから。
人を斬るだけ斬って、時代が変わればあとは人任せ。
償いとはなんだ。困っている人を助けたら償いになるのか。それは逃げとは違ったか。
償いたいと思うぐらいなら、最初から何もしなければ良かったのだ。
今のこの暮らしは、償いたいと思うような過去の上に、成り立っていると思うのか。
「剣心・・だからその変な笑い方、こわいってば〜」
彼女は笑いながら縁側にだらしなく横たわる自分を跨いでいく。
通り過ぎざまに肩をベシリと叩かれた。
「痛い」と思わず上げた抗議の声は、当然の如く無視された。
本当に思いのほか痛かったので、悔し紛れに「馬鹿力・・」と呟いたら、
彼女がもの凄い形相で振り返ったので慌てて顔を逸らした。
彼女は結構地獄耳だ。
縁側を降りて庭に出た彼女は、どこからか桶と柄杓を持ち出してきた。
恐らく庭の花に水を撒くのだろう。
叩かれた肩を抑えるとまだジンジンとした痛みが残っている。
どうしてか涙が滲んで視界がぼやけた。
目指したものが何だったか、きっと一生わからない。
だからこうして生き残ってしまった自分がこの時代で何をすればいいのかもきっと一生わからない。
それでもこの目の前の光景が此処にあるというだけで、
全部を許容できてしまいそうな自分が何より恐ろしい。
太陽の光にかすんで見える薫の姿に、無性に懐かしさがこみ上げた。
光のせいで輪郭はぼやけ、美しさばかりが残像として残る。
高らかに笑い、振り返った顔の、その弾むような気配だけが伝わるこの現実こそが。
掴むことすら出来ずに夢見た、それが何なのかもわからずに望んだ、
形にさえならなかった理想の。
あれはかつて。かつて見た。
後の世への希望そのもの、ではなかっただろうか。
なんだ緋村さんってばちゃんと理想をゲットしてるじゃない、
などという妄想。
モドル。