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綺麗なものは好きじゃない。 だって。 俺には酷く、似合わないから。 待ち合い にわかに降り出した雨はますます強さを増し、一向に止む気配が無い。 耳障りな雨の音は他の一切の物音を遮断して、我が物顔で鳴り響いている。 一気に下がった気温と、雨で煙る町と。 人々は急ぎ足で家路を辿り、または軒先で雨が過ぎるのを待つのだ。 彼もまた、待っていた。 赤い髪から滴る雨を、拭うこともせず。水を吸った着物を、どうにかするでも無く。 雨で煙る町が。雨で煙る道と。雨で煙る人の心。 「次は・・・」 人気の無くなった裏通りの、その、寂しさたるや。 「次は何処へ・・・・行こうかな・・・」 何処へなりとも、行けばよい。この、根無し草にも劣る身で。 高く結い上げた髪は未だ、降ろすことが出来ずにいる。 自分を罵る事でしか、気を安らぐ術が無い。 「おれは・・・・・・」 償う道を、探すのだと。 斬ったぶんだけ救うのだと、言ったくせに。 「おれは一体、何を、やってるのかな・・・」 濡れた身体を温めもせずに。 滴る水を拭いもせずに。 生きるための何かを、得る努力もしないくせに。 いつの間にか。 いつの間にか。 綺麗なものが見れなくなった。 煙る町が。煙る道と。煙る心。 バシャバシャと、水を弾く音と。息を切らし、駆け来る気配。 彼が僅かに顔を上げた。 「あー・・もー、ビショ濡れだぁ・・」 鈴のように響く、少女の声。 土砂降りの雨に追われて、彼のすぐ隣に、逃げ込んできた。 「どうしよう・・止むかなぁ・・」 重そうな布袋と、身体に似合わぬ大きな竹刀。 白い胴着に、黒い袴。 髪は高く結い上げて、その先からはやはり、雫がぽたぽた落ちている。 綺麗な綺麗な、澄んだ眼の。 同じ軒下に、人が二人。 一人は晴れ間を待って。 一人は何かを待って。 少女は荷物から手ぬぐいを取り出すと、せっせと顔を拭い始めた。 そして。 「あの・・」 ふいに駆けられた声に、彼は顔を向ける。 小さな小さな親切者は、手ぬぐいを差し出して、困ったように見上げていた。 「あの、手ぬぐい、使いますか? 私が使ったから少し濡れてるけど・・」 その、見上げた目の澄みように。 彼は少し、顔をそらす。 「いや、気持ちだけ貰っておくよ・・」 出来るだけ柔らかに断りの言葉を述べると、 少女は「そうですか」と言って、気まずそうに手ぬぐいを戻した。 煙る町が。煙る道と。煙る心。 綺麗なものは、見たくない。 とくにこんな幼い子の、 自分がとうに手放した、その。 「剣術を、やってるのかい?」 聞こえるか聞こえないかの、微かな声で問いかけると、 しかし少女は、嬉しそうに顔を煌かせた。 「はい。今日は出稽古に行ってきたんです」 きらきら。きらきら。 自分がとうに手放した、その。 「お兄さんもでしょう?」 腰に挿した刀を目指し、少女はにこりと微笑んで見せた。 「うん。おれもね、昔は剣術を、やっていたんだよ」 こんな風に。曇りのない目を、ただひたすらに輝かせて。 「恐い師匠が居てね。おれはずっと馬鹿弟子って呼ばれて、でも、楽しかったよ」 「今は違うの?」 きらきら。きらきら。 憎らしいくらいに。 「うん。今はね。もう剣術は、出来ないんだ」 何人も、何人も、斬ってしまったからね。 それはもう、剣術ではないから。 君が信じて極めようとする、剣術では決してないから。 「その傷も?」 少女の視線は、紛れもなく彼の左頬に向いていた。 その目に宿る光は、憐れみでも無く、また同情などでも無い。 ただただ大きく開いた目が、彼の「傷」を凝視する。 「これはね。これは」 視線が刺さる左頬が、とても熱い。 「これは、そう。修行の最中についたんだ。 あんまりにも厳しい修行でね。今もずっと、残ってる」 「ふぅん・・」 何か釈然としない面持ちで、それでも少女は一応の納得を、得たらしかった。 黙ってしまった少女をちらりと見やると、何事かを真剣に考えていた。 曇りのない目で。澄んだ瞳で。 綺麗なものは好きじゃない。 だって自分には、酷く似合わないから。 手元にないその美しさを、 憎らしく思ってしまうこともあるから。 「さぁ、もう行きなよ。雨はまだまだ止まないよ。濡れたら乾かせばいい。走って行きなよ」 走って行きなよ。早く、速く。 このどうしようもないおれの性根が、まだ少しは綺麗なうちに。 そんな綺麗な目で見られると。 悔しくて、悔しくて、握りつぶしてしまいたくなったりも、するかもしれないから。 「うん。走って帰る。これ! あげる」 「えっ・・・」 手ぬぐいをぐいと押し付けて、少女は踵を反した。 バシャバシャと音を立てて、走っていく。 剣道具をかばいながら、竹刀を引きずるようにして。 「・・・転ばないといいけど」 綺麗なものは好きじゃない。 だっておれには酷く、似合わないから。 この白い手ぬぐいでさえ、綺麗過ぎて。 彼は手の中の布を顔に当てて、ほんの少しだけ笑った。 「また、会えるかな・・・」 煙る町が。煙る道と。煙る心。 「会えないかな・・・」 終 ええと。つまりあれです。 自分を救えない人間が他人を救おうなんてちゃんちゃらおかしいよねっていう皮肉です。 私から緋村への投げかけ。 私の中の彼はそれにどう答えてくれるでしょう。 私も楽しみです。 |