三千世界







あやめ白百合かきつばた
玉梓咥へてつばくらめ

三千世界の鴉を殺し
ぬしと朝寝がしてみたい





「まったく、よくぞ申したもの」

 春の宵。
 花を散らす風も温かく、月明かりがおぼろに麗しい。
 前栽を眺めつつの杯もゆるゆると進み。
 気がつけば隣の少女の瞳もとろりと緩みはじめていた。

「これ、薫殿。お眠いのなら、寝所に参られよ」
「んー…?」

 見かねた剣心が抱き上げようと伸ばした腕に、ふいと柔らかな感触が走る。
 艶やかに笑う少女が、剣心の指先に口づけたのだ。
 驚く間もなく、黒耀の瞳が瑪瑙の眼を絡め取る。

「――――おや」

 思いもかけない、薫にしては殊更大胆ともいえる振る舞いに、さすがの剣心も僅かに目を見開いた。

「やっぱり、綺麗。剣心って」

 無邪気な瞳が悪戯っぽく微笑む。

「薫殿」
「昼間、妙さんから面白いものをいただいたの」
「ほう、何でござろうか」

 無邪気な少女。楽しげに、清かなる、貴女。

「剣心には、きっとすごく『似合う』って言われたんだよ」

 なんとまあ。
 ――――いつからさほどに艶めいて。

 にこりと笑って、薫は一旦部屋に入り、漆塗りの黒盆を手にして、剣心の傍らにぺたりと座った。

「おろ……」
「ね、綺麗でしょ。お客さんから頂いた、舶来物なんですって」

 煙管、である。
 吸口は、琥珀であろうか。一目で高価な品とわかるそれは、首が華奢な曲線を描き、盆の上に優美におさまっていた。
 そして、その横で細くたゆたう煙は。

「けぶり草とは、今時珍しい……。しかも、上品とは」
「へぇ、剣心、詳しいのね」
「いや……昔、ね」

 幕末の頃、ひととおりの嗜好品はたしなんだ。
 彼に限らず、人を斬る者は大抵がそうだったように思う。
 多かれ少なかれ「自分」の断片を亡くした人間は、その隙間を無意識に埋めようとして、何らかの刺激を求めるのかもしれない。
 ――――生きている、と。
 自分は、確かに生きているのだと。
 自己の存在を確かめなければ、崩れてしまう。
 そんな時代だったのだ。

「ほら、やり方も一応教わったのよ。こうやって詰めて、そして」

 白い指先が、思いのほか器用に動き。
 気づけば、少女の手によって、吸口が剣心の口元に供せられていた。

「はい」
「か、薫殿」

 思わず恐縮の面持ちで制しかけた剣心は、だが、すぐに力を失う。

 けぶり草の香りと、薫の纏う空気。
 白い肌と珊瑚の唇と、夜風に揺れる長い翠髪。

 本当に、どこで身につけたのか。

 あてがわれるままに、ゆっくりと口をつける。
 甘い香りが鼻腔を満たす。

「良い、香りだな」
「ふふ」

 薫が嬉しそうに笑った。

「ほんと、似合うわ。粋な――――遊び人みたい」
「……心外な」
「あら、誉めてるのよぅ? 大抵の女の子なら参っちゃうわよ」
「――――」

 ころころと笑う薫を、剣心はふいにぐいと抱き寄せる。

「きゃ……」
「ほんにお珍しい」

 額が付くほど顔を近づけて、低いひくい声が薫の耳を満たした。

「薫殿からの、お誘いとは」















 己の上に打ち伏す少女の髪を、ゆったりと撫でた。
 申し訳程度に少女の身を覆う夜着では少々冷えるであろうか。
 そう思って、ついでに自分ごと、夜具で身を覆ってやる。



   おもしろき こともなき世を おもしろく



(高杉さん……)

 彼も「つかめない」男だった。いつも飄々として、色の無い目を細めて笑う。
 ――――死の床にあってすら。
 彼は口笛など吹いていたものだ。
 停滞を、彼は嫌った。



   おもしろく



 結局は、それに尽きたのだろう。
 明治も、人民も、日本の未来も。

「個人が背負うにゃ、重過ぎるもんだ」
「好んで背負いたがる奴ほど早死にするさ」
「――――だがよ」

 彼の唇が、ほんの少し引き締まった。

「ほんとに気の合う奴らとつるむってのは、なかなかいい。一緒にでかい事やると『おもしろい』からなぁ」

 その瞳がきらりと光る。

「お前もなぁ」

 人斬りの少年の頭を、彼はぽんぽんと叩いた。

「『おもしろい』事、見つけろよ」

 そのために死んでもいい、ってな事をな。
 そう言って、また高杉は笑った。
 ――――それが、最後の会話になった。
 彼の事を、非常に羨んだものだ。
 彼のように、心のおもむくままに人生を駆け抜けた人間が、果たしてどれだけいるものか。

 ――――おもしろい、事?
 ――――そうさ。『生きてる』ってぇ実感がわくような事よ。

「生きてるってのは、いいぜぇ」

 肺を病む彼が、吐血混じりにおどけて言った言葉。
 悲しいほど、真実味があった。

「死ぬにしても、流れるにしても、何かやっときな。それが生きてる証だ」
――――高杉さん……!

 顔を歪める少年に、彼はまた、にやりと笑う。

「そんな顔すんな。俺はもうやった。『おもしろい』ことをなぁ」

 だが、その時。

「だがなあ」

 ふい、と、彼の目が伏せられたのだ。

「おまえは、でかい事やるよりは……」

 常日頃、何一つ――――着実に忍び来る死でさえも――――遮るものなど認めない透明な瞳が、その時ちらりと揺れた気がする。
 しかし、それも一瞬のこと。

「ま」

 彼の口調は、瞬く間にからりと晴れた。

「おまえの人生だ。好きなように歩いて行けよな」



 ――――高杉さん。



 目を閉じて。
 目を開ければ。
 腕に休める白い蝶、ひとひら。



 其の薄羽をくれるなら。
 闇夜に光る粉散らし。
 御前を喰ろうて良いならば。



 貴女の為に死にましょう。



   三千世界の鴉を殺し
   ぬしと朝寝がしてみたい






<了>










すずさんから・・・
あのすずさんから頂いてしまいました・・・・(感涙)
やはり良いですねぇ・・すずさんの書かれる二人・・・
緋村に煙管を咥えさせている薫嬢・・・・
その一瞬が目に浮かぶようです・・・。
すずさんの文章は独特の言い回しが使われていて、
それがまた実に良い雰囲気で・・・

ええ、大好きですとも(告)

至極丁寧な剣心の言葉遣いの中に
精神の均衡の危うさを感じるのは私だけでしょうか・・・
いや、そんなことはないはず(握り拳)
私のようにすずさんのファンの方はきっと同じように思っているはずだ・・!
すずさん、今回は本当に、有難うございました・・・!
これからも宜しくお願いします(>_<)