誘惑 五







この手で触れば

紅く染まるはずだった

刀についた血を拭い取る懐紙のように

紅い色が滲んで

それなのに




















「字の練習なんていつしたの?」


前触れなくかけられた問いかけに、
食器を取り出そうと戸棚に伸びていた手がピタリと止まった。
背中に感じる薫の視線は何時もより心持ち冷ややかで
剣心の背筋にぞくぞくとした感覚が走り抜けたのは
そのせいもあったかもしれない。


剣心が肩越しに後ろを振り返るのと
薫が手に持っていたものを床に放り出すのは同時だった










ばさばさと

散らばった

白い 手紙






「ねぇ、字の練習なんていつしたのよ? あんなに下手だったのに」


薫の声は本当に不思議そうだった。
少し首を傾げた様子も、
無邪気に見えた。

無邪気そうに。


床に散らばった手紙をちらりと一瞥し
くだらない茶番を終わらせる時がようやく来たと知りつつも
剣心も一応は、とぼけてみせる


「何のことで、ござろうか」


全くもって滑稽だ。
浅はかな探り合いなど既に何の意味も無いことは
お互いに分かっているのだから。



薫が一歩踏み出すと
散らばった白い手紙がかさりと音を立てた。

剣心の細められた目が、
もう一度床に視線を落とす。






朝だというのに、空気がやけに熱かった。

開け放った窓から入り込む風が

纏わりつきながら身体を撫でていく。





薫は少しだけ距離を詰め、
真っ直ぐ剣心を見つめている。

それでもまだ、手の届く距離ではない。





「私の部屋の押入れに何かを隠せる人なんて
貴方ぐらいしかいないでしょう。
それにもしも他の人なら、
貴方が気が付かないわけないもの」

「弥彦かもしれぬよ?」

「馬鹿言わないで」




しばしの沈黙が、その場に降りた。
絡んだ視線はじりじりと熱をおびたが、
どちらもそらす事はしない。



先に息を吐いたのは、剣心の方だった。

ふぅ、と小さく力を抜き、後ろの戸棚に背中を預ける。
それでも合わせた視線は外さない。




薫がするすると、一歩、また一歩と近づいてきた。

ようやく、手を伸ばせば届く距離。












自分が触れれば

紅く染まるはずだった

真っ白い着物が、返り血を浴びた時のように

それなのに



近づけば近づくほど

際立つのは自分ばかり

この髪の紅さばかり

ただそこにある違いを

思い知らされるばかり












「いつから知っていたのでござるか?」


戸棚に寄りかかったまま、
剣心が口を開く。


「最初から」

「最初から?」


さして驚くふうでもなく、剣心は薫の返答を聞き返した。
どことなく嘲笑を含んでいる剣心の声音は、妙に薫の癇に障る。




そうだ。
最初からそうだった。
最初に手紙を見つけたときから。

どこか皮肉めいた感情が、
薫に確かに向けられていた。












どこまでも白い 真っ白い

その白さ目に痛く


ちくちくと

ちくちくと


まるで針でつつくように







真っ白い手紙が

あてつけだと感じるのは

薫自身、思い当たる節があったからで

だからこそよけいに














黙り込んでいる薫に、剣心の手が伸びた。
伏せていた薫の顔が、はっとしたように上げられる。
手は頬を通り越し。
両腕がするりと、
薫の首に巻きつけられた。



吸い寄せられるように、縮められた距離。




「最初から知っていたのに、何故今まで知らぬフリを?」


薫の顔を覗き込みながら、剣心が問い掛ける。
その声は甘く、まるで媚びているようだった。


「剣心こそこんな手紙なんか書いたりして、一体どういうつもり?」


薫は至近距離で向かい合う目線からほんの少し顔を背けて、
小さく言葉を吐き出した。
その後に続く剣心の声には、ますます甘ったるい響きが増す。




「そんなこと気づいているくせに」













近づけば近づくほど

違いが許せなくなった

紅く染まるはずだった彼女は

いつまでも真っ白いままで

際立つのは

自分の髪の紅さばかりで





どろどろとした紅い液体が

袴の裾から伝い上って

容赦なく自分は染まっていくのに




汚い手では触れないと

あんなに躊躇していたくせに

いざ手を伸ばしてしまえば

染まらぬ事が許せないなんて














首に絡ませた両腕はそのままに、
剣心は薫の頬に自分のそれを摺り寄せた。

こめかみに口付けし、耳を通って顎へと唇を滑らせていく。

頬を摺り寄せては、唇を寄せ。

まるで猫が飼い主にそうするように。

薫は大人しく、されるがままに。





鼻先をかすめるように揺れる紅い髪を見ながら、

薫はぼんやりと考えていた。










猫が人に擦り寄るのは

別に親愛の情を表しているわけでは、ない

ただ自分の臭いを残して

所有の証を、立てているだけで












「あんな真っ白い手紙ばかりよこすから。
目が痛かったわ」


ちくちくと
罪悪感に痛んだ目

剣心が何に苛立っているのかを

何を許しがたく思っているのかを

とうに薫は知っていたから






「今はもう、痛まないでござろう?」


閉じられた薫の瞼の上をぺろりと舌で一舐めし
剣心が囁くように言った。


ようやく此処まで来た。
ようやく、本当に手が届くところまで。












彼女から、近づいてきて欲しかった。

二人の間にある違いに、自分が苛立っているという事を

何に焦れて、何を欲しがっているのかを

全部認めた上で。














「でもわからないわ。だからといって私はどうすればいいの」

僅か揺れる瞳で、薫が剣心を見つめた。



からんだ視線はじりじりと熱をおびて
もはや熱いという感覚さえ、ほとんど無い






絡ませた腕に緩やかに力を込めつつ、
剣心は恐ろしく綺麗に微笑んだ。



「そんなことは、簡単でござるよ」








ゆっくりと押し当てられた唇が
離れては吸い付いて、また離れては










二人の影がもつれるように床に沈むのに、
さほど時間はかからなかった。










最後まで残された薫の腕も







剣心の手が追いかけて掴んだ後は









諦めたように沈むしか






















































駄作過ぎて言葉もありません。
お目汚し失礼致しました・・・。