彼女が最初に



よたよたと歩き始めたような幼い頃から、竹刀は薫の遊び道具だった。
他のどんな玩具よりも身近で頑丈で、何故か飽きるということはなかった。
来る日も来る日もそれで遊んだ。
恐らく近所の同年齢ぐらいの子供たちの存在を「自分の遊び相手に成り得る」のだと認識するはるか以前から、
くたびれて捨てられる寸前のぼろ竹刀は薫の一番の「ともだち」だった。
自分の背丈よりはるかに長いそれをひきずって歩いては振り回し、きゃーきゃーと歓声をあげて一人ではしゃいでいた。
誰かが子守りをするまでもなく竹刀さえ側にあれば薫はいつもご機嫌だったのだから、
両親から見れば至極手のかからない子供ではあった。
いつも竹刀をひきずっているものだから家のあちこちに傷をつけ、物を壊し、何かに躓いて竹刀ごと転んではぎゃんぎゃん泣いた。
だからと言って呆れた父と母が竹刀を取り上げようとすれば、更に泣いて奪われることを拒んだ。
竹刀は幼い薫にとって紛れもなく友達であった。

先に友達を見限ったのは薫の方だった。
五歳を過ぎる頃になると子供の世界は急速にその範囲を広げ始める。
どうやら家の外にも、自分と同じような子供という存在がいるらしい、ということに気がつき始めた頃から、
薫はそれまで片時も離さず常に側に置いていた竹刀を少しずつ忘れ始めた。
近所の友達と話す方が楽しくなり、父の知り合いの家に居る子供と遊ぶ方が楽しくなり、
新しく知り合った同年代の存在と一緒に居る方が楽しくなった。
やがて思春期を迎える頃には着飾ることにもそれなりに興味を持つようになり、
お気に入りのリボンを見つけてはせっせと箪笥に集めることに夢中にもなった。
部屋の隅に置かれたそれをほとんど気にかけなくなったその時から、薫は竹刀の友達ではなくなってしまった。
本腰を入れて稽古に打ち込み始めた頃にはもう、古ぼけた汚い竹刀はただの幼少期の玩具という思い出の品でしかなくなっていた。

だからこれは罰なのだ、と、薫は思う。

庭では弥彦と剣心が木刀で打ち合いをしている。専ら打ち込むのは弥彦の方で、剣心は飄々とそれをかわしていた。
平和な午後だった。

弥彦の身長が薫を追い越したのはもう随分と前のことで、そして薫が弥彦に勝てなくなったのはつい最近のことだ。
三本勝負しても一本取れるかどうか。勝ち越すことはもう出来ない。
初めて負け越した時には弥彦の成長を喜ぶのと同時に「ああとうとう来たか」と虚しいような寂しいような気持ちにもなった。
成長著しい弟子の腕力はどんどん強くなっていき、逆に薫の腕力は十代の頃より断然衰えてしまった。
子を産んだ後は落ちた筋力もあまり戻らず、以前ほどの俊敏さも無くなった。
膝の上で眠っている我が子を時々揺らしながら夫と弟子の打ち合いを縁側で眺める。
もはや自分が稽古をつけるだけでは弥彦の剣術の上達には到底足りず、
自然と剣心が相手をする機会は増えた。

剣心は決して、薫の稽古の相手をすることはない。
それが何故なのかどうしてなのか彼がどんな理由でもって拒むのかは知らないが、
どれだけ頼んでも強請っても夫が自分と竹刀を向け合うことは終ぞなかった。多分これからも無いだろう。

腕の中の我が子は日に日に重みを増している。喋り始めるのもそう遠くはないだろう。
薫の身体は日に日に脂肪が増えていき、それは重力に逆らえずこれからも垂れ下がって行くだろう。
幸せなことだ。それは幸せなことだ。

ままならない色々なことを、性別のせいにだけはしたくなかった。それは薫が最も嫌う恥ずべき行為の一つだ。
弟子が自分を越えて行くのは、自分が女だからではない。
剣心が自分と打ち合いをしないのは、自分が女だからではない。

幼い頃、脇目も振らずに片時も竹刀を離さずに居たなら。
友達とか初恋とかお洒落とかそういう他のどんな誘惑にも目を移さずにただ真摯に無我夢中でそれだけと向き合えていたなら。
いいや違う。そんな仮定は無意味にも程がある。
最初に剣術を裏切ったのは薫の方で、それだけが変えようのない事実だ。







モドル。