箱
何時もの事だ。
何時ものこと。
『自然な目覚め』とは到底言えない息苦しさを伴った意識の覚醒に、
薫は少々疲れ気味に溜息を吐いた。
━━━またなの━━━
時計を見れば、まだ夜明け前。
部屋には夜の気配が色濃く残り、
空気もまだ、ひんやりとして。
━━━こんな早くに、目覚めたいわけじゃないのに━━━
無理やり引き上げられた意識は、
まだ半分眠りの世界を漂っている。
鈍く疲労を残している身体も、まだ睡眠が必要だ。
右半身を下にして眠るのは、何時ものこと。
でも頭の下には、愛用している枕は無い。
枕のかわりに、お世辞にも寝心地が良いとはいえない硬さの、
腕が一本、敷かれている。
━━━痺れるからしなくていいって言ってるのに━━━
目の前にある骨ばった手に焦点を合わせ、
それからちらりと後ろを振り返ってみる。
完全に振り返る事が出来ないほど近くに、剣心の顔があった。
すうすうという静かな寝息が、薫の首筋に時折かかっている。
━━━きれいな顔。
きれいなかお。
長い前髪が、伏せた睫毛に被さって。
薄暗さに、髪の色はよく分からない。
その目が、まだ当分は、開かれなければいいが。
薫は顔を元に戻し、寝苦しさの原因を取り除こうと腕を動かした。
自らの腰辺りに手をやると、案の定、剣心の左腕がきつく巻きついている。
━━━やっぱり━━━
最近はよく、こんなことがある。
一緒に眠るようになってからは、大分経った。
眠りにつく時は確かに、ただ寄り添っているだけなのに。
いつのまにか剣心は、薫の頭を自分の腕に乗せている。
━━━よりにもよって右腕に━━━
嬉しくない訳ではない。
しかし。
利き腕は、剣客にとって、命だ。
剣術を嗜んでいるものなら、誰でもわかる。
一晩中人一人分の頭を乗せていれば、腕が痺れるのは当たり前。
それでなくても、細いのに。
薫が頭に敷いているのは、腕であって、腕でない。
一人の剣客の、利き腕だ。
まるで。
まるで。
命そのものを、下敷きにしているようで。
命そのものを、無防備に預けられているようで。
でももしかしたら、それが狙いなのかもしれなくて。
右腕は愛しい薫に投げ出して。
左腕はきつく薫の腰を抱く。
きつくきつく締めすぎて。
その息苦しさに薫が目覚めるのは、ここ最近ではよくある事だ。
ぎりぎり、ぎりぎり。
巻きつく腕は力を増し。
薫は苦しさに、目を開ける。
苦しさに、目を開けるのだ。
薫は何時ものように、巻きついた腕を、そっと外しにかかった。
このままでは眠れない。
両手で少しずつ、剣心の腕を動かしてみる。
またちらりと振り返ると、やはりきれいな剣心の顔が、
安らかな寝息を立てていた。
そのまま、目を開けなければいい。
こういう時に起きると、厄介なのだ。
腕を少しずらすのに成功すると、
しかし剣心の腕はそれまで以上の力で巻きついてきた。
「・・・・・・っ・・・・くるしっ・・・」
それでもなんとか外してみる。
剣心の左手一本を両手でどうにか押しのけると、
ようやく薫は思い切り酸素を取り込むことが出来た。
腹を押しつぶしていた圧迫感が消え、新鮮な空気が肺に入る。
ふぅと小さく溜息を吐き、部屋の入り口へと視線を移した。
ようやく外が白み始めたのか、襖の細い隙間から、仄かな明かりが差し込んでいる。
━━━このまま起きてしまおうかしら━━━
そう思って、身体を起こそうとした時だった。
「何処へ行く?」
低い声の問いかけと同時に、薫は布団に逆戻りした。
蛇のように素早く巻きついた腕が、再び薫を引きずり込んだのだ。
「・・・・!・・・・」
ぎりぎり、ぎりぎり。
それまでにないくらいの力で、腰に巻きついた腕が締め上げてくる。
「何処へ行こうとしていた?」
耳元から聞こえてくる声は、薫に冷や汗が流れるほどには、冷たかった。
いつもこうだ。
薫が抜け出そうとしている時に目が覚めると、
剣心の機嫌は決まって悪い。
ぎりぎり、ぎりぎり。
腕が、身体に食い込んでくる。
胃が圧迫されて、どうしようもない苦しさが込み上げる。
息が出来ない。
「・・・っ痛い、剣心!」
堪らなくなった薫が、小さく悲鳴を上げた。
こうなるとやっと、剣心の腕は力を緩める。
そして強い力で締め上げる代わりに、今度は真綿で包むように薫を腕の中に収めるのだ。
「すまない、薫殿・・・・・拙者少し寝惚けていて・・・・」
荒い息をついている薫に、剣心は猫なで声で詫びを入れる。
「ああ、苦しかったでござるか・・・ごめんね、薫殿・・・・
でも薫殿が急にいなくなろうとするから・・・・」
本当に、悪いと思っているのか、いないのか。
やっと薫の呼吸も落ち着いてくると、剣心は薫の身体の向きを変えさせた。
向かい合わせの格好で、またも薫をすっぽりと抱え込む。
決して強い力ではないが。
ゆるやかに、腕を巻きつけながら。
薫はまた、小さく溜息を吐いた。
これではどちらにせよ、同じことだ、と。
ぎりぎりと、締め上げられようと。
ゆるやかに、雁字搦めにされようと。
つまりは同じこと。
真綿でも、息を詰まらせるには十分。
もう一度襖から漏れる朝日に目を向けて、薫は剣心の懐に深く顔を埋めた。
どうせあの明るい場所へは、まだ当分は行けそうにない、と。
終
青井そらさまに頂いたイラストのお礼に、とお送りさせていただいたものですが・・・
なんともはや・・。お礼になるようなもんじゃないですねぇ・・。
それでも快く受け取ってくださったそらさんに感謝。
有難うございました・・・m(__)m
モドル。