I don't like him.
But I love him surely.
<後編>



彼が嫌い。

でもきっと愛してる。












『私が死んで、剣心も死んで、
私達二人の手が遠く遠く離れてしまっても。
何年かかってもいいから。
どんな姿になっててもいいから

また私を見つけてくれる?』










「英語の授業はサボるけど、歴史の勉強は好きなんだ?」
書棚の影から姿を現した人物に心臓が大きく飛び跳ねた。
「自分では分かりやすい授業をしてるつもりなんだけど、そうでもないのかなぁ・・」
なんで。なんでこの人が此処にいるのよ。
こんな奥まったところの書棚なんて、滅多に需要はないはずなのに!
「それとも・・・・」
どうしようどうしようどうしよう、何か言わなきゃ。
「そんなに俺が嫌いなのかな」


書棚から顔を出したのは紛れも無い、緋村剣心だった。

長く紅い髪を一本に束ねて、白いYシャツに黒のスラックス。
ネクタイは緩められていて、シャツのボタンは上から二つ目までが開いている。
いつものように何気ない微笑を浮かべているけど、目が笑ってない。
「2年1組神谷薫さん。口もききたくないほど俺が嫌い?」
そう言って腕を組み、緋村剣心は本棚に左肩をもたれかけた。
しまった。逃げ道を塞がれた。

「別に・・・・そういう訳じゃありません」

つとめて平静を装って動揺を悟られないように、なんとか言葉を紡ぎだす。

「ちょっと気分が悪かったので・・・」
「気分が悪いと図書館に来るの?保健室じゃなくて?」

くすくすと含み笑いをしながら切り返してくる。
その笑いの中に紛れも無い怒りの感情が感じられて、ますます心が焦ってきた。
必至に高ぶる激情を押し殺そうとしているみたいだけど、隠しきれていない。
もしかしたら隠すつもりも無いのかもしれないけど。
私が言葉に詰まってあたふたしていると、ふいに沈黙が訪れた。
またあの目だ。
下に顔を向けて俯いていてもわかる。はっきり感じる。
視線。
緋村剣心が舐めるように私を見てる。

やめてよ。そんな目で見ないで。

なんなのよ。なんなの!?
一体何だって言うのよ!?

私何かした!?



意識がつぶれてしまいそうな沈黙に耐えられなくなって私が勢いよく顔を上げるのと、
緋村剣心が声を出すのが一緒だった。

「全く・・・・・随分と意地悪でござるなぁ、薫殿」

は・・・?

何?なんで急にそんな言葉遣いに?


「何年も何年も探して」

そう言いながら緋村剣心はじりじりとこっちに近づいてくる。

「やっと見つけたと思ったら」

本棚にぴったり背をつけてズルズルと後ずさってはみるものの、どんどん窓の方に追いやられてしまう。

「貴女は俺の事など欠片も覚えていない」

どうしようもう行き止まり・・・



「あんまりな仕打ちでござるよ、なぁ、薫殿」



緋村剣心の手が、私の頬を緩やかに撫でた。












遠い日に交わした約束は

何より大切なはずだったのに

私はそれを、手放してしまいました。


全部手に入れたいと望みつづける事が

苦しい事だと知っていたから。


余す所なく盗んでしまいたいと思いながら

そんなことが出来るはずもないことを

嫌と言うほど分かっていたから。






「何故泣く?」

緋村剣心の手が頬に触れた瞬間、凄い勢いで涙が出てきた。
頬を撫でる緋村剣心の手の上を涙が行く筋も流れていくのに、
彼は撫でるのを止めなかった。
その優しい手の感触を、私は確かに知っている。
すぐ近くにある緋村剣心の顔を瞬きもせずに見つめると、彼は少し照れたように笑った。
色素の薄いこの穏やかな瞳を、私は確かに知っている。

この瞳が時には激情の色に染まり、そしてそれがとても美しいと言う事も。





「貴方は誰?」

「薫殿の恋人」

「私は誰?」

「拙者の恋人」












きっと無駄な足掻きだったのでしょう

目を塞いで耳を塞いで

どんなに身体を縮めても

それでも響くものがあったのでしょう








相変わらず頬を撫でている彼の手に、自分の手を添えると
緋村剣心は心底嬉しそうに微笑んだ。
彼の頭が傾いて、お互いの額がぶつかるコツンという音がした。



「ゆっくりでいいから、俺の事を思い出して。
時間がかかってもいいから。もう一度俺の手をとって」

額と額を付け合いながら、緋村剣心が祈るようにそう言った。


私の頭はまだまだ混乱していて、まるで数種類の絵の具を混ぜ合わせたようにぐちゃぐちゃしている。
何かとても大事なものが凄い勢いで自分の中に帰ってきたような気がするけど、
今はまだそれを上手く整頓できない。
いろんな感情が入り乱れて、涙も相変わらず滝のように流れている。
でもただ一つ。

ただ一つ、この混乱した頭でも確信できる事は。

今、すぐ目の前で、睫毛が触れ合うぐらいの距離にある緋村剣心の顔が、

今にも泣き出しそうだということ。

自分の頬に添えられた彼の手が、少しだけ震えているということ。


そして、


今掴んだ彼の手を、私は離したくないと、思っているということ。






End