I don't like him.
But I love him surely.
<前編>





いつもいつもいつもいつも
私を見つめる『目』
日によって周りの景色は目まぐるしく変わり
ある時は草原。
ある時は森林。
ある時は光。
そしてある時は闇。
存在するのは私だけのはずのその空間で
唐突にその瞬間はやってくる。
背筋から絡み付いてくるような視線
振り向いてみても
振り向いてみても
そこには誰もいないのに。

逃げなくては
━━どこへ?━━
逃げなくては
━━どこまで?━━

走って走って走って
それでも尚追ってくるあの『目』
身体に絡んだ視線から
神経をそらす事が出来ない

嫌だ嫌だ嫌だ

受け入れては駄目だ。
『目』を合わせては駄目だ。

逃げなくては
━━いつまで?━━
逃げなくては
━━どうして?━━




いつものようにけたたましく鳴った目覚ましを、思いっきり叩いて止めた。
ベッドから転がり落ちてガシャンという音が聞こえたけど今は拾い上げる余裕も無い。
現実に引き戻してくれた目覚ましには感謝してるよ。ありがとう。
なんとか上半身を起こして意識をはっきりさせようと試みて、
ベッドの下に目をやると案の定・・・・

もう、うんざりだ。一体これで何度目なの?
この夢のせいでこれまでに何個の目覚ましが名誉の戦死を遂げたのか・・・

「あ〜〜!!もう!!一体何だって言うのよ!!」

ぐしゃぐしゃと髪をかき乱してみても、なんの答えが返ってくるはずも無い。
仕方ない。あきらめて学校行く準備しよう。

顔を洗って髪を梳かして。そういえば随分伸びたなぁこの髪。もう何年も切ってないや。
歯を磨いて制服に着替えると、だいぶ気分がすっきりとする。
「朝ご飯は・・・・・いいや。めんどくさい」
誰もいない家に一人で住んでいると、知らず独り言が多くなってしまう。
特に冬の朝の、しんとした冷たい空気に自分の声が響くと、静かな寂しさがつんとせり上がってくる。
ささやかな父の仏壇に「行ってきます」と手を合わせて、いつものように家を出た。








学校に着くともう朝のHRは終わっていて、親友の操が私を見つけて駆け寄ってきた。
「かおるぅ・・また寝坊したのー?担任が『まーた神谷は遅刻かー?』って嘆いてたよ」
「あー・・うん。ちょっと夢見が悪くて・・・」
「悪い夢でも見た?そう言えば少し顔色悪いよ。あ!また朝ご飯食べてこなかったんでしょう」
「うん。めんどくさくて」
「全く。ただでさえ薫は細いんだから。ちゃんと食べて来なさいよ?
それより、今日の一時間目の英語の課題やってきた?わかんないとこがあってさぁ・・・・」
「・・・・うそ・・・今日の一時間目英語なの・・・?」

操の胸倉を掴む勢いで尋ねると、
親友はきょとんとしたままコクコクと首を縦に振った。

うわ、なんてこと・・・・どうせ遅刻するなら一時間目終わるころに来れば良かった・・・!

「あー。もしかして課題全然やってないんでしょ?しょうがないなぁ。私の写させてあげるよ」

いや課題をやってない事が問題なんじゃなくて・・・・・あ、どうしよう。ちょっとパニック。

「・・・操・・・私一時間目サボる!ノート取っておいて!よろしく!!」
「ええ!?サボるってあんたこの前の英語も休んだじゃない、それにもう緋村先生来ちゃうよ、って薫―!?」

操の呼び声もなんのそので脱兎のごとく教室を飛び出した。
教室をでて廊下の角を曲がる瞬間、廊下の反対側の角から先生らしい人影が曲がってくるのが見えた。
廊下の角から紅い髪の毛が出てくるのと私が角を曲がりきるのがほぼ同時だった。
ヤバイ・・・私が走って逃げてくのが見えちゃったかもしれない・・・・
それでも速度を緩めることなく全力疾走でその場を後にした。

息を切らせながら図書館に入ると司書の人にかなり不審な目で見られたけど、
「自主研究の授業で調べ物をしたいんですけど・・」と言うとすんなり信じてもらえたみたいだった。
普段からこの第二図書館は人がいないけど、今は授業中なので本当に人がまばらにしかいない。
わりと新しい最近の図書を置いている第一図書館には常にたくさんの生徒がいるけど、
古い図書ばかりを置いているこちらにはみんなあまり興味が無いらしい。もったいないことだわ。
お気に入りの日本の歴史、幕末〜江戸初期の書棚に入っていくと、なんとも落ち着く空気を手にする事が出来る。
古い本独特の匂いと少しのホコリくささが私は妙に気に入っている。
書棚と書棚の間の狭いスペースに腰を降ろして、上がった息を整えるのにしばしの時間を費やした。
心臓がまだバクバクと激しく鳴っている。
全力で走ったせいもあるけれど、一番の理由はそれじゃない。

最近の私の英語の授業への出席率は、かなり低い。
遅刻したり、早退したり、その時間だけ保健室に行ってみたり。
なんやかやと理由をつけては英語の授業だけ避けて過ごしている。
別に英語が嫌いな訳じゃない。むしろ科学とかに比べれば全然好きなくらい。

私が英語の授業を避ける理由は単純にして明快。ただ一つ。




緋村剣心が苦手だから。




最初は「あの紅い髪、染めてんのかしら?」くらいにしか思わなかった。
後学期の始まりと同時に結婚退職した英語教師の空きを埋めるべく、この学校に赴任してきた人だった。
校長から紹介されてあの人がステージに上がった時の生徒達のざわめきを、今でも良く覚えている。
男とか女とか、そんなことは全部通り越して。
人を引き付ける人だと思った。
一つに束ねられた長く伸びた髪は、燃えるような紅い色。中肉中背の、どちらかと言えば細い体つき。
一見女の人のようにきれいな顔なのに、それとは全く不釣合いな頬の十字傷。
ああこれは・・・・これからクラスの女子たちが大騒ぎするだろうな・・・・と思った。
その程度だった。
別に男嫌いな訳ではないけれど、特に関心もない。
今まで何人かの男子生徒に告白というものをされたけど、
格別何の感慨も沸かなかった。
緋村剣心を最初に見たときも、確かにその容姿は凄いとは思ったけれど、それだけだった。

それだけではなくなったのは、後学期最初の英語の授業の時。


緋村剣心が教室に入ってくると、それまで思い思いの雑談に花を咲かせていたクラスの空気が一瞬で変わった。
男子も女子も、みんなの集中が一点に集まる。
思いがけず予想以上の注目を浴びて、緋村剣心が少し驚いたような表情をした。
教壇の上に立って少しはにかんだように少し困ったように、
「はじめまして。今日からこのクラスの英語を担当します、緋村です。
早く皆さんの顔と名前を覚えたいので積極的に質問とかしてくれると嬉しいです」
と言った。
完璧だった。
外見だけではない、言葉の選び方とか、間の取り方とか、上手く言えないけれど、そういうもの。
何か一瞬で人の心を掴むようなそういう能力。この人にはそれがあるなと思った。
たったその一言の挨拶だけで、ちょっと張り詰めていたクラスの空気が和やかになった。
「年はいくつですか」とか、「その髪は染めてるんですか」とか、次々に生徒たちが質問をし始めると、
「年は28で、髪は自前です」などと緋村剣心もにこやかに答えを返している。
へぇ・・・なかなか良さそうな先生じゃない。と私もそのやり取りを見ていると、
ふいに彼と目が合った。

一瞬。
本当に一瞬。

それまでのにこやかで人の良さそうな目が、何か違うものに変化した。
目だけが、変化した。
歓喜と、慈しみと、悲しみと、憎しみと。
いろんな感情がない交ぜになって、今にも溢れ出て来そうな感情の色。
自分にとって特別なものを見るような瞳の色。

見間違いだと思った。
現に彼はすぐにまた生徒達の質問の返答を始めたし、私以外の生徒は何も感じていないようだったから。
でも妙に心臓が高鳴った。いわれの無い胸騒ぎを、確かに感じた。

見間違いでも気のせいでもないということは、すぐに分かった。
緋村剣心は、常に私を見ている。
それは私の思い込みだとか、自意識過剰だとか、そんなことだったらどんなにかいいだろう。
自分でもはじめはきっとただの思い過ごしに違いないと考えていた。
ちょっと珍しい毛色の先生が来たから、
無意識のうちに私が意識してるのかもしれない。
もしかして私ってああいうのが好みなのかしら?とか、そんな風に。
でも違う。
英語の授業の度に。廊下ですれ違う度に。
いつもいつもいつもいつも
私を見つめるあの『目』。

身体に絡みつくような、意識を圧迫するような。

夢を見始めたのも、この頃からだった。
私は一人立っていて、ふいに視線を感じる。
逃げても逃げても追ってくる、あの視線。
この夢と緋村剣心が直接関係があるとは思わないけど、でも影響を与えている事は確実。

耐えられない。

視線を感じるたびに、側にいるだけで、自分の中の何かが悲鳴を上げる。
心拍数は上がるし、体温は上がるし。
何度も自分に問い掛けてみた。それは恋じゃないの?と。

恋?これが?

ちがうわ。そんな生易しいものじゃない。
だって警鐘を鳴らしてるのよ。私の中の何かが。

逃げなくては。
逃げなくては。
彼の目を見てはいけない。受け入れてはいけない。
また苦しむのか?
自分でも嫌悪するくらいの思慕を抱えて
全てを奪いきれない彼の人の心を想って
また一人哀しむのか?
思い出すな。
思い出すな━━━




ふと気が付くと、窓から差し込む太陽の光が南中に来ていた。
いけない。つい居眠りしちゃった。2時間目までサボっちゃったわ。
でもここ本当に居心地がいいのよね・・・・もう少し図書館でゆっくりしようかなぁ・・・

両腕を伸ばして伸びをしていると、微かにこちらに近づいてくる足音が聞こえてきた。
珍しい。この書棚って滅多に人が来ないのに。あ、でも司書さんとか先生とかだったら困るわ。

うんしょ、と立ち上がって制服についたホコリを払うと、近づいてくる足音の主の影が、
光に照らされて床に映っているのが見えた。
歩くのにつられて、一つに縛っているらしい長い髪の影が揺れている。

嫌な、予感がした。




中篇へ つづく